15と最後を待つ
好きな人はあんまりツイートをしない。数日に1回、読点すら入る余地のないごく短いツイートをするだけ。そのかわりに、毎月15日と最終日に、長めのブログを更新する。たぶん3000字はある。寝る前に電気を消して、ベッドに入り、スマートフォンの光を弱めて好きな人のブログを読む。それがわたしの趣味だ。
その人のブログは、ほんとにただの日記。映画を観たらしい日のところには、その映画の感想。なんでもない日のところには、スーパーで買い物をしたとか、そういうことが書いてある。たくさん寝た、とかの日もある。インターネットで日記を書いているわりに、地域のスーパーとか本屋に行っているところが好きだ。たまにバッティングセンターにも行っているみたい。わたしは運動音痴で、自主的に運動をしようなんて思ったことないんだけど、その人の文章が気持ちよさそうなので、バッティングセンターなら行ってみたいかも、と思っている。バッティングセンターでバットを振るのは運動に入りますか?
好きな人には会ったことがない。性別も知らない。人格に期待しているわけでもない。ただ、わたしはその人の生活の一部を共有している。
日記の内容は嘘かもしれない。よく考えたら妙に端整すぎる気もする。でも、その人が、日記のようなものを書いているということは事実である。そしてそれを書くことが生活の一部になっていることも、事実である。そして、その人の生活の一部を見ることが、わたしの生活の一部になっているので、ある。
あ、AIとかだったらどうしよう。わたしの好きな人はAIになるのかな。まあそれでもいいか。なんかだんだんAIな気がしてきた。思えば思うほどAI。会いたいわけじゃないからなにも困らない。わたしの生活の一部をとりあげないでくれればそれでいい。ずっと日記を書き続けてほしい。あなたの生成する文章が好きです。
わかれめ
「こんばんは」「こんばんは」「お久しぶりですね」「ね。……ピアス?」「ううん、イヤリング。道具屋でもらったんだけど、」「道具屋?RPGかな?勇者かなにか?」「違うよ、古道具屋。」「あーはいはい。買ったんじゃなくてもらったの?」「うん。古道具屋で、置いてあって。片耳だからご自由にどうぞって」「あー、なるほど、かたっぽしかないわけね」「でも無料ってすごくない?こんなにかわいいのに。なにか他のを買わなくてもいいのかって聞いちゃった、全然かまわないって言われたから、もらったの」「ふーん、そう」
その人はピアスかどうかという事実確認をしただけで、それ自体に対して感想を述べることはなかった。そういえば、その人にはピアスと腕時計をもらったことがあったのだった。ピアス穴のあいていないわたしは、文字盤がピンクのその腕時計をとくに大切にしていて、いっときはお守りのように身につけていたはずだ。
その人と会った日、わたしは、自分で手に入れたイヤリングと細い指輪、そして、他の人にもらった、文字盤がゴールドの腕時計をつけていた。そう気がついたのは、会ってから5日が過ぎた、やたら春めいた日のことだった。
生活は明日も続くから牛乳と食パンとハムあと缶ビール #tanka
— ハルカ (@sharuka0) 2018年2月24日
2018年2月
読みかけだったのを読み終えた。料理人松國栄一さんの、仕事へのスタンスがおもしろいというか、自分もこういうふうになりうるなあという気がした。「今の仕事を、気持ちを折らずにつづけていかないと、僕は生きてられない。僕にとって生きるというのは、死なないようにすることです。そういう人が仕事をしてるということも、多々あると思うんですよ。(p.237)」
再読。この装丁すごく好き……。これ買ったときに宮下奈都さんにサインをいただいたのだった。
赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア: 自分を愛する力を取り戻す〔心理教育〕の本
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よい噂を聞いていたので読んだ。キャラクターを用いることで非常に理解しやすくなっていて、特に回復していくために踏むプロセスが細かく説明されているのがよかったと思う。支援者被支援者どちらが読んでもよいのではないか。そういえば、サバイバーについても述べられていたのが印象的だった。サバイバーであり支援者である人、結構多い気がしていて、自分も最近までそのルートを辿ろうとしていたので……。
「回復とは、被害者でも加害者でもなくなり、サバイバーでもなくなり、そういう一般的な名前ではくくれない『他の誰ともちがう、私でしかない私』になることです」
— ハルカ (@sharuka0) 2018年2月19日
これも再読。宮下作品に描かれる感情の、なんというかこうこもった感じのリアリティはすごいよなあと思う。一筋縄ではすっきりさせてもらえないが、でも暗いわけでもない。
だいぶ前に買って積んでたのをちょっとずつ読み始めた。哲学、間違いなく好きなんだけどきちんと履修してたのは倫理学だけで、ばらばらにしか学習していなかったので、流れを掴みたかった。今はまだ人類の始まりのところを読んでいて、すでによくわかんない。けど何回か読んだらわかるかな〜という気がする。
ハチミツとクローバー コミック 全10巻完結セット (クイーンズコミックス―コーラス)
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ハチクロ、初めて読んだのはいつだったかな……10年ぶりくらいに読んだら、主人公たちと年齢が近づいたのもあって共感の嵐だった。一方通行だらけの恋愛とかなんか……漫画で読むとこんな感じなんですね……。物語における救済、他者との関わりが主になっているものをよく見かけるのだけど、竹本くんの立ち直りはもちろんそういう部分もありつつ、しかし自分の足によるものだったのがかなりよかった。
ハチクロ、じつは竹本くんかなりいいなと思っていて、彼の救いは自分の足を動かしたら進めるとわかったこと、という点がほんとうに、なんというか、わたしに必要な視点だな……って思います
— ハルカ (@sharuka0) 2018年2月25日
読みたくて触るところまではいけた。
・2月は、1月に予定していた物事には結局参加できなかった。久しぶりに1週間ぐらいダウンするなど、なんとなくしんどい時間も多かった。これ多分仕事探さなきゃな〜といろいろしていたからだと思う、めちゃくちゃある選択肢から自分だけを基準に物事を絞っていくのが苦手。
・数年ぶりの友人と複数会ったり、気になっていたイベントに参加したりもした。soarの物語に関するイベントでは、改めて書くことの目的を問わなきゃならない場合について考えたりした(普段は書くこと自体が目的なのであまり考えてない)。Remeのメンタルヘルス×働き方のイベントでは、あ〜やっぱり自分の症状とかその他をもうちょっと人に伝えられるように言語化しないとね……と思った。自分でも取り扱いに困っている身体は、他人にとってはもっと取り扱いが難しいよな……。
・今月はほぼ一人暮らし状態だったのだが、やっぱあんまり向いてないなと心底思った。やるべきことが少ないのもあってどんどん生活リズムが崩れていってしまう。もうちょっと自分に気をつかえるようになるか、他人と住むかだな……、様々な分担ができるという点で他人と暮らすのは好ましいが、いつでも歌ったり人と話したりできるという点では1人サイコーと思った。
・いろいろ悩んだり1人で考えるとぐるぐるしてしまうこと、人に話させてもらいながら解消に向かえた月だった。自分は声に出しながら考えるのが、一番本心に気づきやすいっぽい。書いて出すのもやったけど、話すほうがより嘘をつかない、あるいは嘘をつく瞬間がわかってよい。
・3月はバイト先を決めたいな。バイト募集のツイートをしたら、ほぼお話ししたことない人を含む数人がリツイートやいいねをしてくれて、めちゃくちゃありがたかった。
三畳分の生活
三畳プラスアルファで生活している。プラスアルファというのは、狭い意味では収納で、広い意味では銭湯とかカーシェアリング、レンタサイクルにスーパー、コンビニ、花屋、などを指す。
寝られればいいから部屋は三畳もあれば十分で、だいたいのものは人と共有するから収納も余るくらいだ。車や自転車は出かける休日にあればいいし、小さい風呂に手足を縮めて入るぐらいなら数分で着く銭湯の大浴場に浸かりたい。掃除も大して必要ないし、どうしても大掃除?がしたくなったら家事サービスに頼めばいい(この狭さでも頼めるのかは、頼んだことがないから知らない)。料理は暇つぶしになるからたまにしていて、そのときのためにオーブン・レンジ・トースターを兼ねるやつがひとつ。キッチンスペースを借りるほどじゃないし。冷凍庫つき冷蔵庫は一番小さいサイズを買った。近くに24時間開いてるスーパーがあるから、ほんとは冷蔵庫もなくていいんだけど、作ったものの保存とか、調味料の保存とか。冷凍もほぼ同じ用途。髪をいじるのも狭い流しと姿見があれば問題ない。洗濯はコインランドリー。干すのは狭いけどベランダあるし、布団もなんとか。あ、トイレも共用。
これよりでかい部屋に住んでる人って、いったい何を置くんだろうか。でかいテレビとかソファ?映画やドラマは配信サービス使って、でかい画面で見たかったらプロジェクター使えばいいしなあ。床に寝転がって見れば野外上映みたいな気分だし。あー、デスクとかワークチェアとかか。コワーキングスペース行けば解決。本は電子書籍で買うか、買って読んだらフリマアプリですぐ売っちゃう。あとは図書館。音楽はストリーミングサービスで聴けるし。
他には……なんだろう?なんていうか、欲って環境にその規模を規定される気がする。三畳に住んでたら、三畳分の欲。それ以上あってもここには入らないし、全部をここにしまう必要もない。だから、風呂も洗濯も交通手段も外付けでいい。食料と花は保存しとくけど、食料は必要だからでしょ。花は、まあ、文化かな。香りと美しさはまだシェアしたり借りたりできないし、俺たちはバラも求めなきゃ。
2018年1月
月ごとにどんなことをしたのかなどを記録していきたいな〜と思ったので、とりあえず読んだ・読みかけた本をメモしておく。
途中まで読んだ、世界の異なった見え方について興味がある。
途中まで読んでなんかのりきれなかった、高野雀さんの漫画作品とかと合わせて読んで、いろいろ考えたかったけどうまく火をつけられなかった。
服装と人 どういう心持ちで服を着るのか?誰のために着るのか?なんのために着るのか?服装に意味づけって必要か?意味が生まれてしまうのか?などを考えていた。服や化粧をすることで自分はどうなると考えるのか一旦まとめたい〜と思っているうちにどんどんコンプレックスが気にならなくなってきてしまっている。それが「普通」になって、意味がなくなってしまいそうなところ。
自傷・自殺する子どもたち (子どものこころの発達を知るシリーズ)
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ずっと読んでみたかったので図書館に入れてもらって読んだ。援助希求能力の話があった、援助希求、苦手な人には難しいよね……と思いながら読んだ。一旦刺激的な置換をして、補助的な置換をしつつのちに鎮静的な置換にしていく、というのはなるほどだった。
ちょっと違うけど、しゃべるのに詰まることがここ1年ほど増えたので、とりあえず思いついた近い気配のする単語をいくつか口に出してみたり、そのまましゃべる流れを止めないで「え〜〜〜っなんだっけ忘れちゃった、えーと」などと続けたり、左手の一部をとんとん、と叩いてみたりしている。とくにとんとんするのはかなり合図として有効になってきてる感じがする、そういうのがあるのかはしらないけど。こういう行動に置換することによって、思い出せないことへの嫌悪などが減った気がする。
症状をよい方向に解釈する例(たとえば父への暴力を遅れてきた反抗期ととらえるなど)が挙げられていて、へえーそういうのってありなんだ!と思った。自分がこれからどのような治療をしていくかなど、目の前でいろんな人たちが相談して自分の合意もあって決定されていくのは安心感あると思う。
読み始めたばかり、好きなツイッターの人がおすすめしていたので。文章がとにかくきれい、冒頭がとんでもなくいい。
「平穏無事なくらしにめぐまれている者にとっては思い浮かべることさえむつかしいかも知れないが、世のなかには、毎朝目がさめるとその目ざめるということがおそろしくてたまらないひとがあちこちにいる」こんな書き出しあります!?
— ハルカ (@sharuka0) 2018年1月6日
べてるの家ソーシャルワーカー向谷地さんの章タイトルが「生きるエネルギーを仕事からもらわない」だったから読んだ。
宮下奈都さんのエッセイ、以前買ったのもよかったので読んでる途中。
・もう長いこと、本を読もうと思って読んでいなくて、課題の必要に迫られて読むばっかりだったので、変えていきたいな〜もう課題がある生活も終わる(予定だ)し、と思って読んだ。本を読むと目が回るような感覚は少し落ち着いた。勢いよく読みすぎると相変わらず酔うけど……。卒論が終わって嬉しくてガツガツ読めるものをガツガツ読んだけど、もうちょっとじっくりゆっくり噛みしめるように読むやつをやりたい。
・卒業したらなにしようかな〜(どこでバイトしようかな〜)と思って、気になるサービスの人に話を聞かせてもらったりしている。すごいスキルがあるわけでもなく、フルタイムで働くぞ〜ってわけでもないので(少しずつ慣らしていきたい)、マッチング難しいなあと悩む。仕事を探そ〜ってなると一気に精神が追い詰まる感じがあるので、苦手要素がいっぱい詰まっているのだと思う。いい機会なので何がどう苦手なのか言えるようにしたい、おそらく多すぎる選択肢の中から選ぶこととそれが高頻度に必要になることだと思うのだけど。
・2月の上旬にある物事に誘っていただいたことについてどうするかめちゃくちゃ迷った。ほっとくと不安で身動きとれなくなってしまうので、現実的な策を考えて不安をつぶしたり、なくしきれない部分については失敗・迷惑をかけることになってもいいやと思ったりするのが大事っぽい。そう思うのがとにかく苦手。人に超相談しながら考えたんだけど、主治医の後押しもあってイエスかなと思ってる。ある意味ではここでどう感じるかが結構自分のこの先を左右すると思うので、楽しみかつだいぶビビっている。調子悪くなりませんように。それは無理かもしれないから、軽くすみますように。
『勝手にふるえてろ』を観た
勝手にふるえにいく
— ハルカ (@sharuka0) January 13, 2018
『勝手にふるえてろ』見ました、、、
— ハルカ (@sharuka0) January 13, 2018
えっこれ原作どうなってますか?読みたい……
— ハルカ (@sharuka0) January 13, 2018
『勝手にふるえてろ』、マジでやばくて、途中からきっかけさえあれば泣いてしまう状態になってやばかった、お湯落ちマスカラが落ちました……松岡茉優さん……
— ハルカ (@sharuka0) January 13, 2018
ええーもうなんかなに見たのかわかんない……なにをわたしは……ていうか半分くらい辛かったからお金払って自傷した……と思ってたんだけど、終わってみればこれはなんか……救い……ありがとうございました……?
— ハルカ (@sharuka0) January 13, 2018
心がバキバキになったあと丁寧に他者に欠片をかき集めて直すの手伝ってもらった気持ちです あ~
— ハルカ (@sharuka0) January 13, 2018
渡辺大知さんすごい絶妙、キャスティング大正解じゃないですか!?最初ほんとに無理……と思ったのに、だんだん慣れてったのリアリティがすごかった もう すご なに!?
— ハルカ (@sharuka0) January 13, 2018
パンフレット買うべきだったかもな、、、
— ハルカ (@sharuka0) January 13, 2018
監督がどんなこと考えてたのかを知りたい
— ハルカ (@sharuka0) January 13, 2018
— ハルカ (@sharuka0) January 13, 2018
『勝手にふるえてろ』、観た人たちとどういう物語だったのか話したくなるな 特に傷がえぐられた人たちでな……
— ハルカ (@sharuka0) January 13, 2018
『勝手にふるえてろ』、もう1回みたい気もするけどもう1回みたら耐えきれず切腹してしまいそう 介錯願います……
— ハルカ (@sharuka0) January 14, 2018
東京のはずれで観たけど、これたぶん大都市のど真ん中で観るのが一番効くんじゃないか
— ハルカ (@sharuka0) January 14, 2018
勝手にふるえてろでフォロー内検索したらおそらく出版時の2010年のツイートとか出てきてかなりよかった
— ハルカ (@sharuka0) January 14, 2018
映画『勝手にふるえてろ』を観た。原作未読です。ラブコメディということになっているけど、いやたしかに笑えるシーンは随所にあったけど、それ以上にちょっと自分にとっては切実な話すぎて、枠としては『ムーンライト』とかなり近いんじゃないか……。ヨシカに感情移入しすぎて、ヨシカが辛そうにしているところでめちゃくちゃ泣いてしまい、もう特に後半全然コメディじゃなかったです。
ラストのやりとりとかすごいすごくて、あんなに自分の思ってることをこう、真正面から、自分の部屋というすべてから自分を守ってくれうるフィールドに他人が入ることを許しつつ、いや許すっていうかあれは侵入だと思うんですけど、そして扉を開けてなんともプライベートなことを叫ばれ、本当に信じられないけどそれらを受け入れ、考えられないようなことをする。っていうかなんか〜もう1回見たい!!!!
ああやってきちんと他人に思ってることを言うのも大事だし、でも全部受け入れてくれというのは違う、このへんがわたしにはいまいちまだ理解できていないような気がするのだが(よく聞くけどどういう意味なのかがよくわからない、聞こえる=受け取ると受け入れるが違うということ?受け取った時点で自分の内部に入るので受け入れてしまう気がする)、他人に対して開けることはすごく大事だなと思って、気を抜くと閉じてしまうのでこう意識的に……二を待つことなく開けていきたい……と思った。
おそらくだけど、勝手にふるえてろの感想を書こうとするとどうしても自分が入り込まずにいられないと思うので、いろんな人の感想を読んだり聞いたりしたい映画だなと思った。逆にあの映画をなんとも思えない人もいるのではないだろうか……グザヴィエ・ドランの『たかが世界の終わり』を観たときにそういう感想をちらほら見かけたのだけど。
東京に「退屈」を教えられた女
東京。それはわたしに「退屈」を教えた場所だ。
ずっと伊豆で暮らしていて、口では不便だというものの、実際のところそれほどその実感はなかった。級友と出掛けたければ、車で15分の最寄駅まで親が送ってくれるし、顔も知らない友人たちとの交流に夢中だった頃には、インターネット回線とデスクトップパソコン、ペンタブさえあればそれでよかったのだ。
これといって東京に憧れる理由のないわたしが上京したのは、唯一進学を許された大学が、東京のはずれにあったからだ。
大学1年目は寮に入っていて、バイトも難しいような門限があった。外泊するなら届出が必要だった。2年目、一人暮らしをした。あるイベントをきっかけに、ウェブメディアの会社でインターンを始めた。公共交通機関を乗り継いで通勤した。帰りは先輩と一緒に電車に揺られる。みんなで飲む。なんでもない夜、一人で新宿ゴールデン街に向かう。落語を観る。映画を観る。Twitterで仲良くなった人と会う。何時でも外に出られる。すぐに好きな人たちに会える。
そのとき、18歳までの生活の不便さを知った。あっちだと、わたしはどこにも行けない。選択肢だってほとんどない。欲するものも見つけられず、かなりの時間退屈していた。そして、それらに気づくことさえできなかったのだ。そうわかったとき、東京で生まれ育った人への羨望……嫉妬心と言うほうが正しいかもしれない、も、芽生えた。彼らはずっと前から、選べる。自分1人で、動ける。いろんな人が、まわりに、いる。
今はまた少し考えが変化している。東京にいてもなんでも選べるわけじゃないとわかってきたのだ。ここでは経済力がものを言う場面も多い。それに、わたしの身体はもしかすると東京に向いていないかもしれない、なんて思うこともある。
そういえばもう免許も取れるし、地元に帰っても動けないこともないのかもしれない。地元にもなにもないわけじゃない。っていうか、行こうと思えばどこにでも行ける。起点によってハードルの高さが変わるだけで。で、そのハードルは、多くが土地によるものだけど、すべてが土地によるというわけでもないのだ。
「東京」も「伊豆」も、あるけどない。個々の生活があるだけ。多分目を向けるべきなのは鍵括弧つきのそれらじゃなくて、自分がほんとのところ、どう感じているかなんだろう。
わたしは、まだ、東京にいたい。
そんなことを「悪友 vol.3 東京」を楽しく読みながら思ったのでした!
地方出身者で、かつこれからどうしようかなと考えている者としては、下手なUターン体験記よりもよっぽどリアリティのある「地方→東京→地方」の話が読めてすごくよかった。自分自身選択肢との付き合い方がまだうまく見つけられていないので、東京から離れることで強制的に母数を減らすとか、わりと理想だな……と思いました。まあわたしが今住んでるのも東京(仮)みたいな土地なんですけどね!ありがとうございました。