とっちら

好きなことを取っ散らかします。

2018年9月

いつも通り下書きから今月分のものを引っ張り出して更新しようとして驚いた、下書きがなかった……。

それはつまり本を読んでいなかったということでもあります。今月はなんか……ドタバタしていたわね……。

 

もしもし、運命の人ですか。 (角川文庫)

もしもし、運命の人ですか。 (角川文庫)

 

後述する推しが穂村弘さんを好きだということで、話題にこの本の一部が上がったので読んだ。話題に上がった部分だけ読んだときは結構クセがある人なのかなあと思ったが、全体的に軽く読みやすい。全部で十行分ぐらい、スッとは読めない比喩のところがあって、短歌等をやる人の文章だ……と思うなどした。最近になって気づいたが、わたしは歌詞とか詩においてよく見られるような文章の飛躍にあまりうまくついていけない。

 

 1巻無料になっていたので読んだ、咄嗟には名前が思い出せないのですが、宝塚が好きな男の子、いいですね……

 

・今月は人と積極的にコミュニケーションをとる月だった。先月、業務中人と話さなすぎるストレスを解消するためにおこなっていた、インターネットで知り合った人たちと話す行為によって、数名仲良くなった人がおり、彼らとは定期的に話す仲になった。そしてその中に推しが出現したのですが、とてもいい人なので幸せでいてほしい、具体的には満員電車に乗らずにすむ生活を送ってほしい。

・月のなかばに東京に1週間ほど滞在した。友人たちと会ったり対面で仕事の打ち合わせができたりして嬉しかった。このときに、友人に初めて化粧品を贈らせてもらったり、人生で数度目の焼肉屋さんに行ったり、いつもの友人とチェーン店で話したり、喫茶店の店主さんに旅行のお土産もらったりした。楽しすぎて死ぬかと思った……

・東京にいる間に、友人に写真を撮ってもらった。そのあともう1人の友人と合流して果物を食べた。どっちも初めてのことで超超よかった、嬉しすぎてとてもにこにこしていた。友人には1時間で100枚くらい写真を撮ってもらって、10枚くらいもらったのだが(仕事がはやい)、非常によく、他人に写真を送る必要が生まれたらこれを送ろう……と思った。いい表情を撮ってもらえて、自分の顔いいな〜と感じました。

・9月も新しくお仕事が始まり、そこでは校正とかリサーチ業務とかをやっている。どっちも好きな仕事だなーと思う。なんと10月からもちょっと新しいことをやるので、よく準備してなんとかやりきれたらいいな。これで多めに見積もって平日5日、毎日5時間ぐらいずつ働く感じになるのかな。つい休み忘れて稼働して疲れる、というのをやってしまいがちなので、10月は21時以降は仕事をしない(起きるのが遅いので)のをルールにしてやっていこうと思う。

・台風の影響かめちゃくちゃ眠い日が続いてたいへんだった、みなさんは大丈夫でしたか。被害など含め。安心安全に暮らしたいですね。

2018年8月

 

エイズとの闘い 世界を変えた人々の声 (岩波ブックレット (No.654))

エイズとの闘い 世界を変えた人々の声 (岩波ブックレット (No.654))

 

先月の続き。社会運動ってこういうふうに行われるんだな〜みたいな部分が勉強になった(全然よくわかってなかったので)。

 

天龍院亜希子の日記

天龍院亜希子の日記

 

 

 Twitterでフォローしてる方が書評なども書いていたのを読んで、気になっていたので。ふみかをどうしても二階堂ふみでイメージしてしまった。異常に読みやすかった……

 

ネンレイズム/開かれた食器棚
 

 『偽姉妹』が気になってたんだけど、なかったので代わりに。山崎ナオコーラ作品は『人のセックスを笑うな』『昼田とハッコウ』『美しい距離』を他に読んだかな。エッセイも読んでみたくなった。社会派だよな〜と思って記事を書いた。

tottira.hateblo.jp

  

鬱屈精神科医、占いにすがる

鬱屈精神科医、占いにすがる

 

チェコ好きさんが読んでいて気になったので。語り口が好き。読んでる途中で返却期限が来てしまった……

 

マチネの終わりに

マチネの終わりに

 

 ずっと気になっててやーーっと読めた!!!平野啓一郎さんは私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)を課題図書かなにかで読んだことがあったが、急いで読んだのでほぼ覚えておらず、初めて読んだに等しいのだけど、こんな……こんな作品を書く方だったのですね……。中盤つらすぎるあまり一旦読むのを中断したが、最後まで読んだら本当、よかったね……。

大学で勉強してから、参考文献のある本をつい喜ばしく感じるようになったのだが、この小説も参考文献がすごい。わたしは世界情勢に疎いし古典作品の教養も音楽の教養もないので、多分この作品の素晴らしさを最大に享受することはできていないと思うが、それでも、すごい……。関連する作品についてもっと知りたくなった。引用したい言葉もたくさんあった。関連ツイートは以下からツリーになってます

  

・8月、なんかあっという間であまり記憶がない。日記を読み返したら、東京医大の件でめちゃくちゃ落ち込んでいたっぽい。

・月末にかけて結構仕事が忙しく、プレッシャーや単純に画面を見る時間の増加などで疲労〜となった。やっぱり家で働いていると、わたしはだらだら長時間働きがちなので、そのへん気をつけなきゃな〜と思った。

・業務後に(人間としゃべりたい……)という気持ちになることが増えて、久しぶりに匿名インターネットの人々と話すのを解禁した。かつての自分にとってはよくない習慣になっていた(主に朝方までしゃべってしまうため)ので一度やめたことだったけど、再開することでストレスをうまく発散できるなら、そう判断できたことはよかったなと思う。あと普段関わらないタイプの人と話すことができて新鮮……。

・業務でライター探しをしていたら、いろんな人が協力してくれてかなり嬉しかった。長期的に募集していますので、我こそはという方はぜひご連絡くださいね。

 

信じられない、わからない

 「やっぱり変だと思うんだよね、血のつながった大人が4人も家にいるなんてさ。ごちそうさま」
 険のある声でそう言って、娘が食卓を離れた。めまいがした。わたしは育て方を間違えたのだろうか。

 娘に異変が現れたのは、彼女が東京の大学に入って2年が過ぎた頃からだった。1年生のうちは頻繁に電話をかけてきて、ここの人たちは信じられない、意味わかんないことばかり言ってくる、などと嘆いていた。わたしはそれを「そんなこともあるよ、価値観の違いだね」と笑いながら聞いていたのに、いつの間にか彼女にとって「意味わかんない」のはわたしのほうになってしまったようだ。

 今、娘の周りでは「血のつながりのない家族」が流行っているらしい。シェアハウスならわたしにも馴染みがあるが、あれは家族とは違うと思う。家族っていうのは、どこかしらに血のつながりがあって、なんかもっと、避けがたい運命みたいなものがくっついているんじゃなかったのか。もちろん夫とわたしに血のつながりはないけれども、代々受け継がれてきたものをわたしと夫で組み合わせて、それが娘と息子になったのだから、つながり続ける一端を担っている。それが家族じゃないのか。シェアハウスなんていつ解散してもおかしくないものを、家族と呼ぶことはできないと思う。

 それに、「血のつながった大人が4人も家にいるのは変」とはどういうことなんだろう。たしかにわたしたちは血がつながっていて、娘も息子も成人した。大学が長期休みのときに限定されるが、「血のつながった大人が4人家にいる」は事実だ。それが「変」とはどういうことなのか。「4人も」と言うから、数字が多すぎると考えているのかもしれない。核家族が一般的になっていることが関係しているのだろうか。いや、でも、親2人子2人の核家族。どこにおかしいことがあるのだろうか。成人してもわたしの子はわたしの子だ。かけがえのない家族が4人揃うことさえ否定するほど、「血のつながらない家族」の流行は勢いを増しているのだろうか。

 娘のことが信じられない。彼女はわけのわからないことばかりを言っている。

山崎ナオコーラ『ネンレイズム/開かれた食器棚』

 

ネンレイズム/開かれた食器棚
 

 読んだ。二作品とも、一種のあっけなさというか、淡々としている感じというか……があって、山崎ナオコーラだなあと思う。なんか一瞬(今わたしは社会問題を扱うコラムを読んでいる……?)みたいな気持ちになることがあった。

二作品に共通して見られるのが、「過程での幸せ」「区分け(グループ分け)の拒否」「『自然』と『意志』を分けないこと」。もう直接的に言葉にされているから、意図的なものであるか、よっぽどこの時期(初出は2015年)に考えていたことなのかなと思った。なにかをしているこの瞬間を楽しむ、みたいなの、どういうときにできているかな……と考えるなどした。区分けの拒否は理解できる。自然と意志を分けないことについては、前々からどの程度人は自由に決定できるのかというところに疑問があったので、そういう捉え方もできるかなーと思った。その2つの単語について、一見まったく違うものに思われるが、じつはそうでもないのかもしれないと思うとすごく面白い。ゆっくり考えたい。

 

染色体に異常のある子をもつ鮎美が主人公の「開かれた食器棚」においては、この自然と意志を分けないこと・出生前診断・高齢出産と社会状況についての主人公の意見が述べられている(特に出生前診断について結構じっくり書かれている)。その中で、

 ただ、「高齢出産」には、子ども自身のためにどうするか、ということだけでなく、対外的な問題もある。

 このところ、国の財政状況があまり良くないせいか、税金の使い道に細かい意見を持つ人が多くなったようだ。

 「自己責任」という言葉が流行り、自分で選択した道で困難に陥った人に税金を使うことを渋る人たちが増えた。

 「『自然』に不幸になった、『自分たちと同じような人生を歩んでいる日本人』だったら税金で助けてあげることに異存はないが、そうではなく、自分の『意志』で困った状況に陥った人ならば助けたくない」ということだ。

 「家族内で助け合え」という科白も多く聞かれるようになり、まるで時代を逆行しているみたいだ。

とあり、ここから6ページに渡って、出産と世の中について書かれている。わたしが大学のメディア関連の講義で憲法改正草案を読んだのがたしか2014年とかで、世の中〜みたいな気持ちになっていたので、すごくこう……社会の空気感が作品の中に取り込まれているなあと思った。

そういう空気を感じつつもどう自分が決定していくかということについて、『かわいい夫』『母ではなくて、親になる』などのエッセイにも書かれている気がするので読んでみたい。

 

メモとして書いてみてわかったが、山崎ナオコーラの作品をうまくまとめるのは難しい。教訓を拾おうと思って読めば他にもたくさん要素がある。血のつながっていない家族のような共同体、血がつながっていても親と子はまったく別の存在であるという意見、自分の好きなように生きるという選択、などなど。他の作品ももうちょっと読んで、書かれるものの推移とかを知りたいなーと思いました。

 

余談のようなそうでないような話なんだけど、自分に子供ができたときに出生前診断をするのか、もし染色体に異常があるとわかったらどうするのか、とかはめちゃくちゃ考えてからじゃないとわたしは妊娠出産に向かえないだろうな〜という気がしている。あと生まれてからも大病をするのではとか、常にすごく心配してしまうと思う。そういうときに以下のようなメディアがあるのはとても助かるだろうな、結局歩くのは自分だけど、こうやって手すりのようになってくれるものがあるとずいぶん違うだろうな、ということを思っている。

soar-world.com

2018年7月

 

哲学の謎 (講談社現代新書)

哲学の謎 (講談社現代新書)

 

 わかった部分が多分2割ぐらいしかない気がする。

 

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

 

 想像してたのとちょっと違ったけどこれはこれでよかった、1つあたりの長さがちょうどいい感じがする。

 

増補新版 人間の条件―そんなものない (よりみちパン! セ)

増補新版 人間の条件―そんなものない (よりみちパン! セ)

 

 あ、こういうレベルから考え直していいんだなーというのがわかった。本編一読しただけだと?ってところも結構あったけど、増補部分の対談などで同じようなことが書かれていて、そこ読んだら結構わかった気がする。ここに出てきた本でいくつか読みたいものが出てきたのがよかった。

 

 

 

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

 

 今更ながら読んだ、最後のところあっすみませんでした〜〜〜!となって、話の作り方うまいね……と思った

 

はじめての沖縄 (よりみちパン! セ)

はじめての沖縄 (よりみちパン! セ)

 

 沖縄のこと、全然知らないな〜と思ったので。タクシーの運転手さんの話が好きだった、のびやかな人が近くにいると自分ものびやかになりやすい気がする。しかしなにかについて言及するというのは本当に難しい。でもやらないとなにも進まない、みたいな側面があり、余計に難しい、多分難しい難しい言いながら進むことしかできない(時間は勝手に経つので)

 

子どもの難問

子どもの難問

 

 『哲学の謎』の野矢さんが関係してたので。1つずつの分量短くてほんと子どもでも読めるなと思った。

 

ナイルパーチの女子会 (文春文庫)

ナイルパーチの女子会 (文春文庫)

 

 Twitterで紹介されていたのを見て。柚木麻子さんの作品を読んだのは初めて。女と女の話だった……

 

BUTTER

BUTTER

 

 これもTwitterで何人かの人が言及していたので。わたしはナイルパーチのほうがよりぐっときたけど、木嶋佳苗のことにもうちょっと詳しければ違う印象になるのかもしれない(参考文献として関連書籍が挙げられていた)。

柚木さんのどちらの作品にも、女と女の関係性、それから子供のような男が描かれていた。ナイルパーチでは、その男たちが「自分ではなにもしない(例:家事をせず不衛生な家で暮らす)」ことによって近くにいる人々(作品の中では女性)が受けるダメージを、呪いのようなものとして、それに対する怒りや悔しさのようなものを描いていたが、BUTTERでは少し異なったように描いていた。2作品しか読んでいないが、おそらくこの人の書くテーマには女と女、それとこの「なにもしないでいる」という形の呪いが絡んでいるのではないかなーと思ったりした。「なにもしない」ということは、なにもしないそれだけでなく、「お前がなにもしないからこんなことになっている」という責めとして描かれていて、そういうことは現実にもあるよなと思う。

 

エイズとの闘い 世界を変えた人々の声 (岩波ブックレット (No.654))

エイズとの闘い 世界を変えた人々の声 (岩波ブックレット (No.654))

 

 立岩真也『人間の条件──そんなものない』の平等性に関する話かな?で紹介されていたので。

 

当事者主権 (岩波新書 新赤版 (860))

当事者主権 (岩波新書 新赤版 (860))

 

 同上、読んでる途中。

 

・今月わりと本を読んだ。収入が増える予定ができたのでおそらく気持ちに余裕ができたのだと思う

Twitterで誘っていただいて編集アシスタントの仕事を始めた。今はなにかと最終確認を他の人にお願いすることが多いので、1人でできるようになって負担を減らせたらいいな〜と思う(そのために雇われていると思いますし……)。

・友人の演劇(真夏の夜の夢)を見た、笑いどころがたくさん用意されててすごく楽しかった。これに合わせて東京に来ていろんな人とどんどこ会った、初めての方と会ったり、数回目の人においしいごはんやさんに連れてってもらったりして超よかった。

 ・上のツイートをきっかけにめちゃくちゃアイドルが歌ってるのを見ている。アンジュルム竹内朱莉さん、とてもうまいし声もかわいい……

SHIROBAKO一気見した。松風雅也さんは最高、そして中垣内さんというキャラクターが自分の好きな顔のイデアといってよいかんじでした。ストーリー、制作進行などに関わるようになったのでかなり胃がキリキリしたが、面白かった。

・通院日があったのだが、調子良かったら服薬しなくてもいいよーとのことで快方へ……と思い嬉しかった。刺激に弱いので、刺激の少ない伊豆での生活はまあ合ってるんだろうなと思う……。たまに東京に出られればそれぐらいがちょうどいいのかもしれない。

2018年6月

 

とりあえずウミガメのスープを仕込もう。

とりあえずウミガメのスープを仕込もう。

 

 図書館で借りた。短くてちょこっと読むのいい。宮下奈都さんの本は読み続けるぞーという思いでいる、羊と鋼の森が本当によかったので……。

 

障がい者の就活ガイド

障がい者の就活ガイド

 

 図書館で資料として借りた。

 

おやすみ、こわい夢を見ないように (新潮文庫)

おやすみ、こわい夢を見ないように (新潮文庫)

 

 図書館で。人を殺したいと思ったこと、自分はあるかな〜と考えたけど、憎かった人はいても殺したいとかはないなと思った。

 

二人の推理は夢見がち

二人の推理は夢見がち

 

 図書館で。疲れていて、なんか軽く読めるものを……と思っていたので、すごくちょうどよかった。

 

あげくの果てのカノン 1 (ビッグコミックス)

あげくの果てのカノン 1 (ビッグコミックス)

 

 1巻が無料になっていたのと、ねとらぼの記事を読んだら続きが気になってしまったのとがあって、全巻Kindleで買った。わたしやっぱ倫理のことよくわかってないのでは?という思いになった。昼顔の映画も見たんだけど、不倫……不倫て……不倫てどうなんですかね?『1122』とか読んでみるとよいんだろうか。

 

・5月から通っていた教習所を1ヶ月半で卒業した。苦手分野に挑戦するのは久しぶりだったのですごく緊張した。豪雨の中、高速教習行ったりして、ほんとに死ぬかと思った……死ななかった。

・デザイナーさんの進行管理等のお手伝いを始めた。わりと合ってるかもしれないなと思っている。自分を信用していないのでどんどん自動化とかしていけたらいいな。

・それに関連してnoteで記事を2本書いた。こういうハウツー系の記事を書いたのは数年ぶりで、違う頭を使う感じがあってよかった。

note.mu

note.mu

・ある企業のライターに応募した。が、体調悪い期間が続いてしまって選考課題を提出できなくて悔しかった。すごく丁寧に対応していただけたので好き度が上がった。

・体調悪い期間、思ったより短くてすんだのは実家にいるおかげもあると思う。けど久しぶりに結構つらかったな……

・7月以降のことについてあるお誘いをいただいた。ちょうど教習所分手が空くところだったので、うまいこと請けられたらな〜と思っている。

2018年5月

今月は、新しく読み始めたものは特になかった。

・5月の頭に帰省した。そのときに持ってきた本は『暇と退屈の倫理学』『生きがいについて』。

・車の免許を取りに行くことにした。平日はほぼ毎日教習所で車を運転したり、学科の勉強をしたりしている。わたしは目を使うのがあまり得意じゃないというか、ぼーっとしていてあんまり物事を見ていなかったんだなあと実感した。もともと聴覚のほうが優位だなあと感じてはいたんだけど、車の運転では目をたくさん使うのですごく疲れる。脳のあまり使ってこなかった部分が処理に戸惑っているのを感じる。

・車の運転をしている人は、みんなこうやって狭い場所で練習して、それから初心者マークをつけて道路へ出てきたのだと思うとちょっと面白い。そしてその度胸・記憶力・注意力とかを尊敬する。わたしは教習所に通うだけで、何度も緊張でおなかを壊している。不安がりなのになんでこんなところへ来てしまったんだろう……と、最初の数日はものすごく後悔した。だけど、日が経つにつれて、恐怖と、この大きなものを動かせることへの高揚感が混じるようになってきた。このままうまく乗れるようになるとよい。

・上記の文を書いてから1週間ほど経ったが、車を動かすことの恐怖が増している気がする。スピードが出るもの動かすのこわい!

・さらに上記の分から1週間ほど経った。今日の教官はとてもおしゃべりで、50分しゃべりっぱなしだった。そしたらなんか、うまいこと気を抜けて運転できたのか、いつもほどぐったりしなかった……うまくいかない原因は緊張しすぎ・集中しすぎなところにあったのかもしれない。集中できなくて大変に感じていると思っていたのに、逆だったのか……?自分のことは自分でもまだよくわからない。