とっちら

好きなことを取っ散らかします。

コミュニティが苦手なわたしとインターネット

昨夜したツイートが、わたしとインターネットの関係性をほんとによく表してるなと思ったのでメモ。

以前わたしが見ていたのは完全に「趣味のインターネット(利益が出なくていい)」だったので、今見ている「仕事としてのインターネット」と性質が違うのは当然のことだとは思うのですが、わたしは「所属しなくても情報が得られる」というのがインターネットのいいところだなあと個人的に感じていたので、残念。

インターネットがサブの場だったからこそできていたことがあると思うんだけど、いまやインターネットがメイン、そこからリアルに近いコミュニティに流す、というのが多くなってきているので、大事な部分はリアルに持ち込まれることが多く、リアルありきというか、なんかそういう感じがする、という話。わたしはあまりリアルで関わるのが好きでないというか、対面でのコミュニケーションがそんなに得意でないので、やりづらいなあといったかんじ。

いわゆるオタクがインターネットに多く、日本のツイッター初期は彼らがぶわーっと流れ込んだオタクのツールだったという気がしていたので。これはもちろんわたしの観測範囲では、という話ですが。

ここで言うリアル強者というのは、主にリアルで普通に振る舞える人という感じの意味、人との対面コミュニケーションにストレスを感じないとか。さっきと同様、サロン等(最近で言えば有料記事)があることによって、わたしが一番価値を感じるような情報は誰でもアクセスできるわけではなくなった。アクセス権云々については、そもそも誰でもアクセスできる時代なんて来てないと思ってますけどね、さらにね、という感じ。かつてのファンサイトとかはいわゆる「裏」も探せば見れたし、まあ多少の労力が必要だったかもしれないけど金銭も会う必要もなかったのだ。だからこそ会ってみたくなるのかもしれないですね。

田舎なので、インターネットが開通したのが10年前(2005年)だったんですけど、そこからずーっとインターネットをそれなりにがっつり使っていて、その中のリアルとは断絶されたコミュニティとかに救われたことのあるわたしとしては、かつてのそういうインターネットが見つからなくなるのは寂しい。自分の所属するクラスタが変わったというのもあるだろうなあ(お絵描き掲示板とかおい森とかニコニコ動画とか好きだった)。あとはオタクの地位の変動も関係してそう。わたしは表に出たかったわけじゃないし、明らかにされたかったわけでもないんだ。

これは「彼女のいる彼氏」という矢島光さんのマンガを読んでの話なんですけど、徳永は人たらし感のすごいできる男。チャラいけど、苦労をあまり表に出さないようにできる。

わたしはそういう人のことをめちゃくちゃ尊敬していて、どんなときも笑顔とか、化粧をちゃんとするとか、おしゃれするとか、そういうところがほんとに苦手分野なので本気ですごいと思ってる。そういう人相手だと仕事もとってもやりやすいし。雰囲気づくりが上手い人は超超超超憧れる。だからこそ、同時にコンプレックスもバシバシに刺激されるわけで、これはこっちの問題だから何がどうとかいう話ではない。

だから、わたしがWebメディアのコミュニティ化が好きじゃないというのは、わたしが人付き合いがそんなに得意じゃないのもあって、コミュニティに参加しないと素敵なものが得られないとなると、わりとハードルがあって個人的に困ったなあという話でした。Webメディア側からしたら、そっちのほうが色々確実なんだろうとは思うんですけどね……

ツイッターとかニコニコ動画が好きなのは、多分コミュニケーションが成立してるように見えて、それらがほぼ一方通行だったからだと思う。