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とっちら

好きなことを取っ散らかします。

『ラ・ラ・ランド』感想

ララランド、いろんな方の感想をあまりにも読みたかったので、でもその前に自分の感想をもちたいなと思ったので、観てきました。
 
結論としては、わたしは物語自体はそんなに好みではなかったんだけど、その仕組みとか仕掛け、「映画」としてのこれらについては素直にすごいと思った、というかんじです。夢を追っている人、達成した人にいろんなものを突きつける映画だけど、同時に励ましもしていると思う。だから、わたしのための物語ではなかったけど、誰かにとって最高の物語であろうことがわかる、みたいなことを思っています。もしかしたら10年後のわたしにはありがたい物語になってるかもしれない。
 
 
以下ネタバレありで、忘れないうちに思ったことなど!
 

・音楽

ジャズ詳しいわけじゃないけど好きなのでよかった……。いやいや弾いてる荒いクリスマスソング以外はどれもいいなと思っちゃった、もちろんその「いいな」の方向性は様々だけど。だって、友達に誘われたバンドでの音楽もかっこよかったよねえ。
 
Someone in the crowdだけ先に知ってたんだけど、この映画、歌詞だけは先に見ておく……というか内容を把握しておくのがいいような気がする。結構映像が派手なので、わたしはどうしても歌詞に集中するのが難しくて、それによってとりこぼしたこの映画のよさがかなりあるように思う。ミュージカル映画における歌詞ってまあ、ネタバレにも近くなってしまうんだけど、ストーリーについての知識がなければこんな歌があるんだな、どんなシーンで使われるのかなって想像するのにとどめることもできるかもしれないので、個人差あると思うけど、同時に音・映像・歌詞の意味を処理するのが得意でない人は、先に知っておけるものは知っておいたほうがいいのではないかなという気がする。知ったからといってつまらなくなるような音楽ではないし……。
 
一番好きだったのは、ミアが帰郷するときにSomeone in the crowdがインストとして流れるとこかな。ルームメイトたちと準備するシーンで歌詞の字幕見たときに、あ、こういうかんじになるんだな、それならもっとつらいところで流れるのもありだな〜と思ってたら、見事にかかってくれて感動した。この曲とミアとセブのテーマ、City of Starsの3つがメインの曲になるんだけど、それがいろんなアレンジでところどころに出てきて、交じり合っていたりする、そういうのはたまらなかったです。鳴ってほしいな〜って思うところできちんと音楽が流れてくれる、そういう安心感があった。「おっ、いいねえ〜、待ってました!」って思いました。当然ながらエンディングの華やかな、幸せな音楽も最高だった……。最初と最後ずっと観てたい。
 

・言葉(セリフ)

わたしはこの映画を英語音声英語字幕で見たいと思った!!なぜなら甘いセリフを日本語で聞くの、苦手っぽくて……。英語の表現のままならイケてるな〜ぐっとくるかもな〜って思った言葉が、母語で理解が楽な字幕の表現で頭の中からかき消されてしまって、ちょっと残念だった……。そういうのもあって、途中からは英語で聞き取れるだけ聞き取りながら字幕を見るかんじになってしまって、バタバタしちゃった。英英で観られるならまた観ます。
 
特にイヤミっぽいやりとりがすごくよかったんだよな〜。最初のほうの全然話を聞かないミアに対するセブの「宇宙から来たのか?(言葉通じないの?)」とか、あとは部屋で喧嘩になるシーンの「俺ならできる」「あなたはね」みたいなとこ、セブがI can...って言ったのに対してミアが“I” can、ってIを強調して返すの、そういうのめっちゃよくないですか?「俺はできる」「俺なら、ね」みたいなことですよ、わたしはそういうとこへのこだわりが強いので、字幕がより多くの人に理解してもらえるようになってるということはわかりつつも、もったいない〜!と思いました。英英で観るね。
 

・画面

カメラぐいんぐいん動いてましたね!ぐーるぐーると言ったほうが適切か。わたしはちょっと目が回りそうになってしまったな……。撮り方が多分単純にあんまり好みじゃなかったんだと思う。でもこれは先日「たかが世界の終わり」を見たせいかもしれない(アップが多くてビシッビシッというかんじだった)。
 
しかし華やかな色彩は本当に素敵でしたね。わたしはあまりそういう華やかさに憧れがないんだけど、それでも美しいな〜と思った。高速道路のシーンとかもすごかった……大変だろうに……。ミュージカル映画に詳しくないので全然わからなかったんですが、様々なオマージュがあるということで、そういう人にはたまらないだろうな〜!と思いました。他のミュージカル作品も観てみたくなった。
 
画面として好きなのはそういうとこだった、オープニングと、社交に出かける女の子たちと、ラストのifストーリー部分。ifのとこ、ほんと大変だっただろうな〜!しかし素敵だったな〜!夢みたいでしたね。夢なんだけど。
 

・物語

これに関してあんまりうまく言えないというか、マイナスなところが結構多かったんですけど、演出について考えることであとから納得したんで、その解釈もあとで述べるんで、よろしくお願いします。
 
正直よくある物語というか、なんか、現実にはないんだけど物語的にはよくあるというか……言ってしまえば物語にとって都合がよすぎるみたいなことをまず思ったんですよね。離れることになったけどどっちも夢を叶えるというのもかなり都合がいい。しかしこれは現実的にありえない、という意味ではない、そういう人生の人も実際にいると思う。だからそれはそんなに気にしないことにしたんだけど、それよりも、上映中の映画館でスクリーンの前に立って彼を探すか?とか、そういうことが気になったな……。あとは天文台で二人で浮かぶシーンは「おっまじか〜笑」みたいになっちゃいました、ロマンティック度が高すぎてついていけず、ギャグみたいに見えちゃった……。ロマンティック苦手なのかもしれないです、仲違いし始める後半まで、なんか眺める程度でしか見られなくて残念だった(わたしも没入したかった)。
 
逆に、ラブなロマンティックさの減る後半からはすごく楽しめた。ラスト、ミアがあのロゴを見つけるところからはふつ〜にドキドキしてしまった、出てきたセブ、そしてあのテーマ曲。ぐわっと戻る時間、あったかもしれない物語、このあたりはあまりにも美しくて両手で頬をおさえながら観てました、「なんてことなの!」みたいな気持ち。あまりにも色彩豊かで、つい涙が出てしまったし。
 
わたしはああやって違う道を歩いた2人が、再会して、「もしこうなってたら」をぶわーっと考えてしまって、それはすごくすごく幸福で華やかで、理想で、それでもこっちを選んだんだから今の現実があるんだよね、残念だけど、それぞれやっていこうね。という別れだと思ったので、すごく優しい映画だなと思いました。選んだものと選ばなかったもの、そしてもしかしたら選択の余地すらなかった自分では選べないもの、それら全部含めて今なんだよ、ということはすごく現実だなあと思うから。
 
しかも、あのifストーリーはセブとミアがキスしなきゃ始まらないわけで、そんなことは起きるはずがないんですよね。それはあの時点での彼らの性格すらひっくり返さないと起きない、つまりそれまでにあったいろんなことが、ひとつでもいいから違ってなきゃいけなかったわけで。どうしようもなかったんだよね。残念だけど。ってことがわかるシーンだったと思います。だったら、やっぱりこの結末が一番のハッピーエンドだった、そういうことなんじゃないですかね。
 
正直劇場出たときは「なんか……うーん……?」くらいのかんじだったんだけど、あとから演出について考えてたら急に納得がいきだしたので、その話をここからします。長いね……。
 

・演出:比喩表現を実際にやってみせるという誇張

わたしがよくわかんないなと思ったロマンティックなシーン、これだなと思うんですよね。というか、この映画全部がもしかしたらそうなんじゃないかな。誇張がすごい。色彩の明るさも含め大げさですよね、考えてみたら。ここでは自分がひっかかったシーンを例に挙げて考えてみようと思います。
 
まず、ミアが上映中の映画のスクリーンの前に立ってセブを探すシーン。これわたしの感覚ではありえないんですけど、女優を目指すミアがそんなことするのか?っていうのちょっと疑問だった。でも、これ比喩を実際にした誇張だと思えば納得がいくんですよね。「どこにいたって、どんな手を使っても探してみせる」じゃないですか? で、なんでこんなことができるかといえば、多分ミアにとってセブは待望の「Someone」だから。運命の人を見つける・見つけてもらうためには前に出なきゃいけない。そういう、多くの場合比喩表現になるようなことを実際にやったシーンなのかなと思う(補足ですが、Someoneは恋人というよりも、夢に向かわせてくれる人という意味のSomeoneだよなと思っています、別エントリで書きたい)。
 
もう1個、天文台で重力がなくなって浮かぶやつ、あれも恋のふわふわする気持ちとか、「あなたとなら空だって飛べそうよ」「星とダンスしよう」みたいな、そういう比喩が実現したらどうなるのかってことだと考えれば納得できる。
 
ついでにオーバーさのあるとこで言えば、セブが友達に誘われたバンドのライブではめちゃくちゃ人がいて、ミアの一人芝居はスカスカの劇場だった。あれ、ほんとにそうかっていうこと以上に、「こう思える」が大事だったんじゃないかなという気がするんですよね。初めての一人芝居にしては劇場が大きいのでは?って気がしてたんだけど、それもそういう誇張表現のためかもと思えば納得がいく。
 
スポットライトもそうじゃないですかね、バーでの演奏中、オーディション中に自分だけの世界に入って、光を浴びる。多分この光を当ててるのは本人だと思うし……。そういう、「こう思われる・感じる」という比喩を実際に表す演出だったと考えると、あれだけロマンティックになるのも理解できる。そういうやり方でわたしはこの映画を理解しました。これらの誇張表現はセブとミアの夢見心地、陶酔状態(La・La・Land)を表したもの。
 
さらに言えば、最初のタイトルと最後のTHE END。これもはじまりとおしまいのわかりやすすぎる幕開け・幕引きだと思う。ある物語がはじまるよ〜、おわりだよ〜という合図。オーバーですよね。
 

そこで、この映画自体も、事実ではないという点でひとつの夢物語だと考えることにしてみた。それなら作品上の都合がいいシーンも納得がいくんです、だってこれは監督の見た・見せた夢だから。そういう意味では観客のララランド状態にすら始まりと終わりを示して、自分の現実に取り組むことを促したんじゃないかな、と思っている。それなら、わたしが「彼らの物語の部外者だな〜」と感じていたことまで計算されていたのかもしれない、みたいな気持ちになりました。実際誰かの物語では、その誰か以外は脇役だしね……。

 
わたしはこの作品について、3つの「夢」というものから整理できるんじゃないかな〜と考えてるんですが、それはまた今度書けたら書く。そのときに歌の解釈もまじえたい、ミアとセブの距離が縮まるのはまわりがcrowdedなときほど(車同士→バー→パーティ会場)だったんじゃないかとか、そういう話もしたい。ではまた!