とっちら

好きなことを取っ散らかします。

7月に始めてよかったこと

7月に始めてよかったことの話をします。ギターの話。

実家にほぼ使われてないベースとアコースティックギターがあるのは知ってて、以前も一度さわったことがあったんだけど、とにかく指の皮膚がへにゃへにゃだったので痛くて、弾くどころじゃないですねえと思ってすぐやめた。

それから数年が経った今年の7月末。夏休みで帰省していて、暇で、というか読むべき本があるんだけど全然読んでもわけわかんなくて辛かったので、他のことをしようと思った。そのときに思いついたのがギターだった。

わたしはそんなに積極的に音楽を聴くわけじゃないんだけど、多分そもそも聴覚が結構優位というか、聴覚において快不快を強く感じるほうである。となれば、よい音が出せるというのはすなわちよい音を聴けるということでもあるので、快なので、自分で快を生み出せるのはいいことだな〜と思って、さわってみることにした。

チューニングを合わせて、チャララーとさわってみると、それだけで楽しい。自分の持ち合わせている楽器たる声は、同時に複数の音が出せないので、和音が出るだけで楽しいのだ。あとアコギの音が好き。

昔ピアノをやっていたこともあるのだが、両手で違うことをするのは難しかった。足もつくし。中学のときはアルトサックスをやっていて、これは両手で1つのことをするわけなので、問題なかった。ギターも、まあ混乱することはあるものの、なんとなく位置関係を覚えられればそれほど意識しなくてすみそうだ。と言える程度には、1週間ちょっと、毎日数十分さわってたらなった。

音楽をしているときは、他のことをなんにも考えなくてよくていい。音のことだけに集中して、これでいいのかなとか、なんかしっくりこなかったらどこの指がずれているのかなとか、そもそもチューニングがずれてきて上ずっているんじゃないかとか。そういうことを考えたり、いい音だな〜きれいな和音だな〜とうっとりしているだけになる。

わたしの好きな、ギターを弾く人たちが、よくスピッツの楓を歌っていたのを思い出して、コード譜を検索する。あ、もしかしたらなにか大きなものを抱いていることになるから安心するのかもしれないな。ギターを弾くということは。わーすーれはー……しーなーいよー……と、コードが変わるたびに止まりながら少しずつ弾く。曲を聴くときに歌詞は意識されず、すべて音のかたまりとして感じているので、ああこんな歌詞だったんだ、と思う。

自分より大きな音の出る楽器は好きなのだが、なかでもアコギはわたしにしっくりくるようだ。少し小さめサイズのはずなのに、指が届かなかったりちぎれそうになったりするけど、1週間ちょっとでずいぶん音がきちんと鳴るようになった。

ほんとは、ギターが上手で弾くのが好きな人に横で弾いてもらって、こそこそ歌うようなことをしてみたいなーと思っていた。だけど、自分でやってみるとそれはそれでおもしろいし、前は無理だったことがどんどんできるようになって楽しい。1人で完結できて、でも十分楽しいと感じられるものをもつのはよいことだ。しかも音楽は複数人でもできるから、もっといい。

久しぶりに歌を歌ったら、高い音が全然出なくなっていてびっくりした。昔はソプラノだったのになあ。主旋律よりそうじゃないもののほうが好きで、アルトをやりたがっていたんだけど、今はもうアルトしかできないかもしれないな。

左手の人差し指から薬指までの先が、少しずつ丸く、かたく、つやつやとなっていく。ギターをたくさん弾いてる人、指紋は消えないんだろうか。痛みに弱いので、多少じんじんしても続けたいと思うような、楽しいことが増えて嬉しかった。

1人で「んっ?」「お〜〜〜?」「……え?」などと言いながら音を鳴らし、歌うのは楽しい。蛙やら蝉やらの鳴き声がうるさい家で、しばらく人も歌ってみようと思う。