とっちら

好きなことを取っ散らかします。

2017.10.24(火)

こんにちは。最近は卒論を書いています。卒論以外の文章を書きたくて、まあツイートはたくさんしてるんですけど、それじゃあ物足りなかったので日記を書くことにしてみました。

 

「卒論をやって初めて、勉強してる感がでてきた」と言ったのはわたしの友人ですが、言っていることはすごくわかる。これまでも6,000字……? ぐらいまでのレポートとかは書いてきたけど、だいたい頭の中に情報をおいといて、それをざーっと整理して、紙に書きだして、っていうのを数回やれば、本番はほぼノンストップで書けてきた。けど、卒論はそうはいかなくって、特にわたしの場合は今まで全然勉強してきてない分野の知識を仕入れることが必要で、あまりに久しぶりだったのでちょっと難航した。


夏ぐらいまでなかなか集中力がもたず、2、3度繰り返して読まないと文章の意味がとれなかったので、勉強するのがかなり苦痛だった。秋になってからは急に文章が読めるように戻ってきて(とはいえ「普段」の0.8倍くらいの速度ではあるんだけど)、ずいぶん楽になって、ちょっと楽しくなってきた。

 

数年前、体調がガクッと悪くなったとき、気づいたきっかけは期末レポートで。資料が手元にあるのに、それをどうしても開けない。どんどん焦って、そのうち電車やバスに乗るときにひどく緊張するようになって、人と目が合わせられなくなったので、あ、こりゃダメだ、と思って実家に撤退したのだった。


卒論に向かうとき、それがふっとよぎって、構成はできているのに、ずーっと書けていなかった。Wordを開くと真っ白で、その真っ白さに緊張して、頭の中にもやがかかる。自分の無能を証明されるようで辛かった。


先日、医学博士の人にその話をしたら、「とりあえず論文を書き写してみたら? どうせ引用もするんだろうし」と言われた。やってたらやる気が出る、そういうのは知っていて、ただ、向き合った時点でもやがかかってしまって身動きがとれなくなる。それを繰り返していたので、とりあえず言われた通りやってみよう、最初の一手を教えてくれているんだから、と思った。


で、それをやるようにしたら、驚くほどするすると書けるようになった。もやがかかって不安になるのがおさまった。なにか作業を始めてしまえば、そういう不安は入る余地がなくなる場合があるらしい(医学博士はその不安を「侵入思考」と言っていた)。

 

数ヶ月……正確には、去年の夏からうまく手をつけられずにいた問題は1日で解消されて、そこから1週間ほどで4,000字、卒論は進んだ。あまりにもあっけなくて、ちょっと笑ってしまった。Evernoteのメモは、重複があるものの、今数えたら25,000字ぐらいになっていた。マジか……。

ちょっと数字の衝撃で、何を書こうとしていたか忘れてしまいました。えっそんなに打ってんの? マジか……。

 

苦し紛れに出したテーマによって苦しむという、ちょっとアホなことをしていたんですけど、多分このテーマの一部についてはずっと考えていくんだろうな、と思っている。人、おもに子供の回復。それから、宗教とそうじゃない社会の関わり。これは価値観が違う人同士の関わりとも言い換えられると思っている。つまりすべての人間関係だ。


ここ数年、宗教とそれを含まない社会について、ひとまずのけりをつけたいなと思っていたので、ほんとに暫定的ではあるけれど、それが達成できそうなのが嬉しい。そして、移動先のテーマが回復になるんだと思う。


いろんなことがはっきりしてきて楽しい。もう勉強することが嫌い、もしくは苦手になってしまったのかなと思っていたけれど、集中力が戻ってきたら相変わらず楽しい。そのことが嬉しい。好きなものを剥奪されるのは辛かった。

 

学費の関係で難しいけど、卒論を出しそびれてもう1年大学にいたいくらいだ。否応無しにもう1年になる可能性はあるんですが。