とっちら

好きなことを取っ散らかします。

東京に「退屈」を教えられた女

 

東京。それはわたしに「退屈」を教えた場所だ。

 

ずっと伊豆で暮らしていて、口では不便だというものの、実際のところそれほどその実感はなかった。級友と出掛けたければ、車で15分の最寄駅まで親が送ってくれるし、顔も知らない友人たちとの交流に夢中だった頃には、インターネット回線とデスクトップパソコン、ペンタブさえあればそれでよかったのだ。

これといって東京に憧れる理由のないわたしが上京したのは、唯一進学を許された大学が、東京のはずれにあったからだ。

大学1年目は寮に入っていて、バイトも難しいような門限があった。外泊するなら届出が必要だった。2年目、一人暮らしをした。あるイベントをきっかけに、ウェブメディアの会社でインターンを始めた。公共交通機関を乗り継いで通勤した。帰りは先輩と一緒に電車に揺られる。みんなで飲む。なんでもない夜、一人で新宿ゴールデン街に向かう。落語を観る。映画を観る。Twitterで仲良くなった人と会う。何時でも外に出られる。すぐに好きな人たちに会える。

 そのとき、18歳までの生活の不便さを知った。あっちだと、わたしはどこにも行けない。選択肢だってほとんどない。欲するものも見つけられず、かなりの時間退屈していた。そして、それらに気づくことさえできなかったのだ。そうわかったとき、東京で生まれ育った人への羨望……嫉妬心と言うほうが正しいかもしれない、も、芽生えた。彼らはずっと前から、選べる。自分1人で、動ける。いろんな人が、まわりに、いる。

 
今はまた少し考えが変化している。東京にいてもなんでも選べるわけじゃないとわかってきたのだ。ここでは経済力がものを言う場面も多い。それに、わたしの身体はもしかすると東京に向いていないかもしれない、なんて思うこともある。

そういえばもう免許も取れるし、地元に帰っても動けないこともないのかもしれない。地元にもなにもないわけじゃない。っていうか、行こうと思えばどこにでも行ける。起点によってハードルの高さが変わるだけで。で、そのハードルは、多くが土地によるものだけど、すべてが土地によるというわけでもないのだ。

「東京」も「伊豆」も、あるけどない。個々の生活があるだけ。多分目を向けるべきなのは鍵括弧つきのそれらじゃなくて、自分がほんとのところ、どう感じているかなんだろう。

 

わたしは、まだ、東京にいたい。

 

 そんなことを「悪友 vol.3 東京」を楽しく読みながら思ったのでした!

aku-you.booth.pm


地方出身者で、かつこれからどうしようかなと考えている者としては、下手なUターン体験記よりもよっぽどリアリティのある「地方→東京→地方」の話が読めてすごくよかった。自分自身選択肢との付き合い方がまだうまく見つけられていないので、東京から離れることで強制的に母数を減らすとか、わりと理想だな……と思いました。まあわたしが今住んでるのも東京(仮)みたいな土地なんですけどね!ありがとうございました。