とっちら

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我々はどこまで考えればよいのか──滝川裕英編『問いかける法哲学』

最近、なにかを読んで考える、みたいなことが著しく少なくなっていて、考え方を忘れてしまったのでは……と思い、この本を引っ張り出してきて読んだ。

問いかける法哲学

問いかける法哲学

 

当書は、法哲学を学ぶうえで「いきなり実践」的アプローチをとっている。これは、賛否が分かれる法哲学の問いにいきなり取り組み、その中で法哲学の基礎的な概念や考え方がどのように役立つか確認しつつ、少しずつ身につけていくというやり方である。

そして、当書は法哲学の演習書であり、副読本であり、入門書であると位置付けられている。想定読者は法学部生や法科大学院生とされているけど、ちょこちょこ調べつつ読めばそれ以外の人でもそれほど問題なく読めると思う(理解の深さは異なるかもしれないが)。

わたしが今回読んだのは「女性専用車両男性差別か?」の項だったけど、他にも「自分の臓器を売ることは許されるべきか?」「犯罪者を薬物で改善してよいか?」「年金は世代間の助け合いであるべきか?」「国家は廃止すべきか?」など目次だけでもおもしろいのでぜひここから見てみてください。

 

「06 女性専用車両男性差別か?」は、導入で筆者の経験の話、そして「差別」の定義をしたのちに、法律家が差別を取扱う際の視点を明らかにする→次に、差別に関わる法哲学上の論点とその変化などを説明する→最後に、これらを踏まえて、女性専用車両男性差別であるかを考えるための道筋を示す、という流れになっている。

これが講義みたいですごくわかりやすかった。わたしはまずテーマだけを見て自分なりに考え(もちろん法哲学的視点などひとつもない)、それをメモし、法哲学上の論点まで読んでもう一度考えてみた。そのあとに残りの部分を読んでみる、というやり方で読んで、講義を再現するようなつもりでやった(ら3時間が経っていた)。

 

この章では、「こういう論じ方が可能だよね」という道筋を示すものの、結論は出していない。むしろ考慮すべき要素がたくさん見つかるようになってどうしたものか……となってしまった。

そこで思ったのが、我々はどこまで考えるべきなのか?ということ。つまりこの問題って、法哲学的視点……というか、法律家から考えてもこれだけ押さえるべきところがある問題なわけだ。そのような問題を、我々一般人はどのように、どこまで考えればいいのだろうか?

いろいろ考えてみたけど、わたしたち生活者は、こういう視点があるということも学んだり学ばなかったりしたうえで、こう思うんですけどどうですか、って話を、ときに専門家を交えてしていくことしかできないんじゃないかと思った。だって法哲学だけでこれなんだから、様々な専門家の視点を広く得ようとするのは、現実的に考えてかなり難しいと思う。そりゃ学んだほうが、より確からしいものを自分の中に取り入れられるという点で、得だなあとは思うけど。

なんか前にも似たような結論に達したことがある気がするんだけど、専門家への敬意をもって、わたしたちはわたしたちなりに考えて、こう思うんですけどどうですかねって、問われて問うての繰り返しをするのがよいのかな〜って思いました。

 

専門家が専門家の目線で見てくれるだろう、我々は生活者なのだから生活者の目線でよいのではないか、それが役割ではないのか、もちろん学習する生活者というのがよいんでしょうが……と思った話でした。

 

 

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