とっちら

好きなことを取っ散らかします。

朝吹真理子『きことわ』

 読みました。第144回芥川賞受賞作品らしい。

きことわ

きことわ

 

 なんかこう、全体的にもやがかった感じの作品でした。これは話の内容がモヤッとするとかそういうことじゃなくて、うーんなんというんだろう、話している人たちが遠くに感じられるわけではないんだけど、すこし白っぽいベールのようなものが間でふわふわしていて、ということ。見えたような見えないような、終始そんな感じでした。

それもあってか、話の内容それ自体よりも文章の書き方の特徴?技法?のようなものの方が気にとまった。なんとなく古い感じ(時代遅れとかではなく古典的という意味)の言い回しだったり、舞台上で話すみたいなテンポ・区切れの部分があったり。「からまる」・「からがる」が混在していたのとか、一部脱字らしきものがあったのも気になった。前者は意図的で、「からがる」のときはこう、という決まりがあるのかもしれない。

あとは、最初に出てきたモチーフを想起させるものが再びあとから出てきたとこもいくつかあった。

主人公は二人の女性なんだけど、彼女たちの生活、一見ぴったりくっついて溶け込んでいたときがあったように思われるんだけど、決してそうではないだろうな〜と思った。どちらかといえば半透明のセロファンが一部だけ重なったような、そういう重なりがあっただけで、彼女たちはずっと個人と個人。

で、終始もやもやしてる話だなあ〜不透明で曇ってるなあ〜と思ってたら最後のほうで煙草が出てきたりして、「ああこれは煙草だったのか!」と思った。もやがかった文章のなかにそのもやを発生させるものが直接繋がっていないとはいえ入ってるのは、なんというか、くぅ〜!って感じ。

事件が起きて人が死んだり恋をしたり友情が芽生えたりみたいなことは一切ないんだけど、静かに時間は進んでいて、けれど自分のなかの時間は遡ることもできて、つまりなんなのっていうとなにも起こらないんだけどそこがよかった。

最近、本の中で好きだったフレーズをノートに拾ってみたりしているんだけど、終わってみれば思いの外たくさん拾っていて、ああこの本は自分に合っていたんだなあと思いました。

そしてひとつまたひとつと面影がたつ。身のうちのどこにおさめていたのか、置きどころも知れずにいたというのに、凝っていた記憶が、視線をなげるごとに、なにかしら浮かんでは消えた。