とっちら

好きなことを取っ散らかします。

「なんでそういうことがやりたいんですか?」「たぶん、過去の自分のための、リベンジ戦なんです」

タイトルは、先日灯台もと暮らし編集部に遊びに行ったときのやりとりなんですけど。

4月から大学4年生になるのもあって、就職のことを考える機会が増えています。その中で、「人は、どういうときにがんばれるのだろう?」ということが気になるようになりました。

もちろんいろんなタイプの人がいて、いろんながんばり方があるのですけど、自分ががんばれるかどうかの基準はこれじゃないか?と思ったのが、「過去の自分がそれによって救われるかどうか」

 

こう言ってしまうとだいぶ狭められてしまうように思えるかもしれないんですけど、そんなことはなくて。

たとえば、「中学生のとき、学校でいやなことがあったけど、インターネットでできた友人に元気づけられた」ということがあったとします(ありました)。この体験は、「インターネットのコミュニティに助けられた」とも、「学校以外のコミュニティに助けられた」とも言える。インターネット→学校以外、と変換するだけでかなり幅は広がりますよね。しかも、今ならその相手は人間でなくてもいいかもしれない。人が感じられるメディアや、Pepperくんのようなロボットでもいいかもしれない。

そうやって、今までの自分に起きた出来事をふたたび捉え直して、「あのときの自分をどうやったら救えるか?」「あのときどうしてほしかったか?」と考えると、自分ががんばれることが見えてくるのかなあ、と最近は思います。

 

しかも、過去の自分っていうめちゃくちゃ身近な人がターゲットになるので、とにかく像が明瞭。それが本当に自分以外の人のためにもなるのか?っていうのは疑問だったんですが。

tottira.hateblo.jp

以前書いたこの記事がなかなかに読まれ、ツイッターでもその界隈の方に拡散され、検索流入も継続的にあるっぽく(訪問者の半数以上がこの記事に来てる)、かつ「これを読んで落語を見に行きました」というご報告も数件いただいたことで、「過去の自分を助けるためのもの、ちゃんと役に立つんだな」という実感を得ることができました。

 

飲食店の常識を覆し続ける 未来食堂 会員制サロン『サロン18禁』をオープン|未来食堂のプレスリリース

上記の記事を読んで、思い立ってこのようにまとめているわけですが、やっぱりわたしのこの考え方はわりと間違っていないように思います。ひろ〜い意味で、過去の自分のためのリベンジ戦。別に暗い気持ちじゃないので、しばらくはそういう感じでいこうかな、と思っています。おわり。