とっちら

好きなことを取っ散らかします。

不倫とかマルチ商法とか、法とか人の目とか。人工知能Tayちゃんの差別発言を添えて

いくつかのいろんなものを目にする。不倫の話とかはほんとにどうでもよくて、どうかわたしに関係のないところでやっておくんなまし、と思う。そこに関わる人の悲しみとかまで考えていたら、世の中が許せないことだらけになってしまいそうなので、あまり思いを馳せないようにしている。

 

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今日、マルチ商法に関するインタビューを読んだ。そのあたり、あまりよくわからずにいたのでちょっと調べてみたけど、マルチ商法自体は違法ではないらしい。特定商取引法に違反すればそれはまずいのだけど、違反しない限りは合法で、ネットワークビジネスとかも同じ枠だということ。なるほど。だからこそ苦しむ人がいるのだろうなあと感じた。

で、このシリーズを読んでて思ったのは、人は何をもって善し悪しを判断しているのだろう、ということ。インタビュー対象が「これは危険だ」と感じるきっかけには、周りからの評判の悪さや冷ややかな目、というものもある。これは決して間違っていないものだと思うのだけど、評判は悪くても正しく取引が行われていれば合法だし、じゃあ一体何をわたしたちは危険視しているのか?ということを思った。

なんというか、わたしたち……というか、わたしの話になるんだけど。わたしに染み込んでいるのは法ではなくて倫理のほうだと思う。人に迷惑をかけてはならないとか、そういうことのほうが多分重い。そういうものが奥底にあるから、マルチ商法はあぶないとか、不倫はいけないとかっていうふうに考えるのではないだろうか。不倫も法律に反しているわけではないんですものね。

で、倫理と考えると、そこにあるのは社会やら人の目という他人の存在で。自分が生まれた社会が違えば、考え方も違う。このへんがもっとはっきり異なってくるのが、信仰によるものだったりするのかなと思う。

 

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Tayの差別発言なんだけど、これを「人工知能はまだまだ」と捉えるか、「人間がする同様のリアクションの理由を探る材料」と捉えるかでまた違うよね、みたいなツイートを見た。

Tayにとっての社会はリプライをくれる人たちだった。今回のようなことを防ぐために必要なのは、フィルタではなくそれ以外の社会なのではないかと考えてみたりした。わたしたち人間にもそもそもフィルタは備わっていないし、人工知能が人間を考えるきっかけになるケースはもっと増えそうだ。どんどん倫理は問い直されていくのだと思う。倫理が更新されなければどうにもならない問題はたくさんあるのだろうし、それが倫理を更新してまでどうにかすべきことなのかはまだわからない。

わたしたちは何を基準にすべきなのだろうか。法を守るだけでは、多分信用を得るには少し足りないし、かといって倫理を重視していても、気づかぬうちにずるずると間違えていくような気もする。法律ってほんと一体なんなんだ?そもそもほとんど法律知らないしな?と思ってググってでてきた法務省の子供向けページがひどくて笑った日でした。