とっちら

好きなことを取っ散らかします。

わたしはソフィー(仮)、自分の手で呪いをひとつずつほどく。

大学からの帰り道、なんとなく、今の自分は「呪いをひとつずつほどいている」状態だと思った。信頼している先生と、いろいろお話をしたあとのことだった。

 

この「呪い」というものは、1本1本はそれほど大したことない糸のようなものなんだけど、絡まると少々厄介だ。「こうあるべき」「〜はできない」がぐるぐる重なって、身動きがとれなくなってしまう。

人の手を借りて、糸の存在に気づいたり、こんがらがった部分を見つけることはできる。でも、多分、それをほどくのは自分だ。

 

わたしは「ハウルの動く城」のソフィーを思い出す。ソフィーは荒れ地の魔女に、老婆になる呪いをかけられた。でも、その呪い自体は、たしかけっこう早い段階でハウルがといている。ソフィーを老婆のままにさせていたのは、彼女の自己暗示のようなもの。呪いを維持しているのは自分だったのだ。

 

わたしに絡みつく糸はどうだろう。いつの間にか増えていたそれらは、他人との関係の中で生まれたものかもしれないし、わたしみずから首を突っ込んだものかもしれない。糸だと思い込んでいただけで、口に入れれば綿菓子みたいに甘くてふわふわしているかもしれない。

 

こんなツイートをしていたら、友人がこれを教えてくれました。

 

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「魂の脱植民地化」という観点から、「ハウルの動く城」も読み解かれているらしい。読んでみたい。本来の自分を発揮する、ということらしいので、陽明学の本来の意味に近いものがありそうです。陽明学はけっこう好き。

 

さて、少しそれましたが、あなたもわたしもソフィーの要素を持ち合わせてはいないでしょうか。

わたしはソフィー(仮)、自分の手で呪いをひとつずつほどく。