とっちら

好きなことを取っ散らかします。

記憶の濃度

記憶の濃度の話をしたい。

 

ひどく調子の悪かったとき、わたしは文房具の陳列棚の前で立ち尽くしたことがある。何を買うかもあらかた決まっていたのに、そしてそのペンが並んでいる棚の前に立ったのに、「たくさん並んでいるものの中から特定のペンを選ぶ」という行為ができず、急に「わたしはここで何をすればいいんだっけ」「それはどうやったら達成できるんだっけ」と、ぽかーんとしてしまったのであった。そのあと、こんな簡単なことができなくなっていることにぞっとして、帰宅してから少し泣いた。

調子が悪かったときに起きた様々な不具合の記憶は強烈で、なかなか忘れられず、同じようなことをするときにはきまって緊張が訪れていた。今でこそ落ち着いたものの、公共交通機関を利用するときにも不安だったし、人と簡単な約束をかわすのにも、守れるかわからず胃が痛くなった。

 

忘れずにいたいのは、それら嫌な記憶の濃度は下げられるということだ。

ある行為を何度も行えば、分母が増える。いくら強烈であったとしても、一度の失敗は1でしかないので、どんどん確率的には小さくなっていく。やり続けることで、失敗した思い出の濃度が下がっていく。そういう話がカウンセリングの中でなされた。

濃度が高いうちは怖いけど、それに負けず、あるいはときには負けつつも、繰り返して嫌な記憶を薄めていく。そういう作業が必要なんだと思った。

 

嫌なこと以外についてもこの濃度の話はできてしまうから、わたしはできる限り多くの1回を書き残したいと思っている。また次にその行為をすることをためらわないためにも。