とっちら

好きなことを取っ散らかします。

「やさしさ」の価値を見直した2018年

今年は価値判断にかなり変更のある年だった。とくに「誠実さ」「やさしさ」と言われるものの価値をかなり大きく上方修正することとなった。結果として、自分のこともすごく見直したし、他人のよさにもよく目がいくようになって、今までとは違う、夢中にならない比較的穏やかな愛を異性に対しても獲得した。

去年も相当大きな変化があったと思っていたが、今年はそれをさらに上回る大変化の1年だった……。ブログを毎月書いていてよかった。参照しながら振り返りたいと思う。

 

1月

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Twitterで毎月読書ブログを書いている人を見かけて、自分も毎月のペースでなにかを書いてみるのはよさそうだと思って始めた。認知行動療法で振り返りが大事ということを学んだからというのもある。

この月は卒論を書き終えて(当初から半分ぐらい内容を削った、宗教とレジリエンスの関係性について書いたものだった)、久しぶりに「本を読む」に取り組んでいたようだ。抑うつがひどいときは本が読めなかったので、まずなんとか文字を追えるようになったことを喜んでいた。

以前行った学習支援のボランティアに再び来ないか、という話になって行きたかったし、移動手段の予約などまでしたのだが、不安で調子が悪くなってしまい断念した。まだ早かった。卒論という目標がなくなった今、この先どうしたらいいかがまったくわからず不安だった。

 

2月

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仕事のことを考えたり、なんとなく暗い気持ちになったりしている。多分暇が多すぎたのもある。「大人から見た今の若者像」みたいなのを書いてみたくて(というか、わたしから見た都会の若者像って結構大人から見た今の若者像と近いと思う。根っこの部分では全然違う人に思える)、書いたら他の記事に比べてシェアされて嬉しかった。SF全然読んだことないなりのイメージSF日常編……みたいな。

自覚はなかったが、「サバイバー」から離れるべきなのでは、などのことも思っていたのだと思う。自分として生きるということが求められるが、それは一体どうしたらいいのかまったくわからなかった。まさに自分として生きている友人がいて、彼女とよく話をしていたように思う。「あなたはどうしたいの?」と聞かれて、「どうしたいとかはない」みたいな話を半泣きでしたのもこの頃かも。このままでいるのは嫌だ、ということをよく思っていた気がする。

 

 3月

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人と会うたびに多分こういう連想した話を書いていたっぽい。記憶の濃度の話、それすら忘れるぐらいにずいぶん普通に生活ができるようになった。よかったね……。

バイトを探していろんなサービスのところに話を聞きに行ったけど、まだ通勤の不安も強かったし、自分にできることはなにもないのでは……と思い踏み出せなかった。

大学も卒業した、特に3年以降は自分比で全然勉強できてなかったのに、なんか学部の優秀者として表彰されて「あ〜こんなもんなのか〜ウケ」と思った。結局大学入ってたときから出るときまで、調子がいいときも悪いときも、GPAで言えばずっと同じような位置にいた。自分の過剰さを改めて認識するきっかけになったかも。

 

4月

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多分自分を安心させるものについてこれ考えてたんだろうな……。

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今後のことをすごく考えた。都内で条件の合う仕事は見つからず、もうこれ以上ここでぼーっとしていたらダメになってしまう、と思って、ひとまずなにか動かすことに決めた。

その矛先が「自動車免許をとる」だったんだけど、おかしいだろ、なんであなた公共交通機関で死にそうになったりしてるのに、それらの不安に耐える必要がありつつ判断力がめちゃくちゃ必要な運転に向かったの……?

まあ、多分自分がこのままなにもできなくなってしまうのではと不安だったのだと思う。資格試験はわかりやすい目標になるからな。

 多分「自分の立場からものを言う」みたいなことへの関心が高まった。結局自分は自分以外の存在にはなれないのだから、今まで誰か(おもに権力のある人)の立場から(その人に都合よく進むように)ばかり物事を考えてきたが、そうではなく、わたしはわたしとしての意思を表明するのが結局全体のためにもなりうるのでは?と感じた。

 

5月

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免許取得のために本当に必死だった。ずーっと車乗るのこわいままだった……今もこわいけど、まあ最初よりはマシになった。結局全部試験も1回でパスしたんですけど、「あなたはすごく慎重だけど車を乗りこなせていない」「緊張しすぎ、もっと気を抜いて」と言われた。人を殺しうる乗り物に乗っていて気を抜くことできます???って感じだったが、たしかにわたしは緊張したり集中しすぎたりすると見える範囲が極端にせばまる。でも自信になったな。なにか1つをやり遂げられたということは。

 

6月

おぎゆかさんの進行管理のアシスタントを始めたのがこの頃。つまり新卒フリーランスの始まりである。双方初めてだったので、すごくゆとりを持ったスケジュールで始められたのがとても自分にとってよかった。時間に余裕はあるが、きちんと役にも立てる。このとき書いたタスク管理関連のslackbotのnoteは結構読まれたし、実際使ってもらえたのがとても嬉しかった。自分にとって、思っていた以上に他人の補助ができることは大事っぽい。

「失敗してもいいからやってみる」がちょっとできるようになって、LITALICOのライター・編集の業務委託に応募したりもした。選考途中で久々にめちゃちゃ調子が悪くなってしまい(たぶん気候とプレッシャー)、辞退することになって「お手間おかけして申し訳ねえ〜〜〜〜(土下座)」という感じだったのですが、すごくあたたかい返信をいただいて、余計好きになった。今後またぜひ応募して、働けたらいいなと思う。教育・福祉のフィールドでやってる企業としてとても好き。

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まだ半分?長い……

 

7月

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今いちばん時間を割いている、POLのメディアでの編集アシスタントの仕事が決まった。今は時間的には当初の予定の倍ぐらい、お金的には3.5倍ぐらいになって……3.5倍ぐらいになってるね!?マジか!びっくりした……

ずっと「今後の人生どうしよう」と思ってたのが、多分金銭が入るようになったことでちょっと落ち着き、自分にもできることが複数あるとわかり、本を読む余裕が出てきた。わたしは余裕がないと本もろくに読めないんですね……。多くの人はそうかもしれないが。『人間の条件――そんなものはない』を読んで、あー学ぼ、学ぶことは楽しい、と思ったりしている。

あとハロプロに興味もったのがこのときです、TLに流れてきた収録動画でえ〜〜〜歌ウマ!!!!と思った。アンジュルムが好き……

あっ、2年間ずーっと服薬をしてたんですが(最初は不安をおさえるもの、途中からは気分の上下の幅を減らすもの)、ここでついに飲まなくてもよくなった。頓服的に飲むように変わった。は〜〜〜〜よくがんばったね。この安定は、わずかだが金銭的基盤、貢献感を得られるようになったことが大きいと思う。よくわからない申し訳なさみたいなものが減った。

ただ、「なにかを与えることで申し訳なさが解消される」みたいなのは、一時的にはあったとしても、長期的にそうなってしまうことは、個人的にはあまり好ましく思っていない。ずっと差し出し続けることになってしまうので。

このあたりは、年末にかけて「そもそも申し訳ないことはないのでは?」みたいにすこーーーしずつ思うようになっている。

 

8月

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自分は「補助」に強く惹かれる性質がある、ということに気付かぬまま、補助をするもののよさの話をしている。この頃多分業務量が増えて、どう整理していいか困っていたはず。新しいことに慣れるまで1ヶ月はかかるな〜とかが認識された。以降毎月新しいことが始まる日々に……。

今確認したら、ほんとにアシスタント程度の働きではあるものの、あるプロダクトのパッケージデザインのディレクションをしていました……(〜12月)。アンケート作ってグラフとCOUNTA使った表作って議事録とってスケジュール考えて次のアクションを依頼して、みたいのを、アドバイスをもらいつつ全部初めてやっていた。よくやったな……。検索が得意でよかったなと思います。

あとは、嫌な気持ちになったときに、一旦「自分が他人だったら、自分がその状態にあることについてどう思うか?」というふうに考える手を覚えた。「嫌な気持ちになっているのってどうしてだろう?じつはそうなってもおかしくないことをされているんじゃない?」みたいに聞く。1人ではできないので会話文にして、自分役含めキャラを2人立てて考えることにした。もともと圧倒的に自責傾向が強いので、よいことと思う。別に誰にも迷惑かからないし……。

『マチネの終わりに』、かなり傷ついたけどすごくいい作品だったと思う。

あ!あとこのあとめちゃくちゃわたしの内面を変えるきっかけになる、推しと知り合ったのも8月だった。初めはお互い黙々仕事や勉強をしていたんですけど、マジでこのとき知り合ってよかった……。

9月

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業務をもう1つ増やした、というか形が変わって継続された(合同会社化した大島悠さんのアシスタント)。比較的作業に近い感じの仕事をしていて、それによる精神の落ち着き……みたいなのが得られていたり、作業の中でいかにうまくやるか、みたいなことに集中できたりして楽しい。普段たくさん考えるべきことがある中で、「相手が使いやすいものを作る」という目的のもとで一定のクオリティのものを出す時間は、なにかから解放されている気がする。考えてばかりでは脳が疲れるからな。

リモートでとにかくひたすらやることをやる、みたいなのに疲れて、人と話した〜〜〜い!と思うようになった。改めて、わたしの心は別にフリーランスにもリモートにも向いていない、それなのに体が、今の社会ではそれ以外の働き方が難しいね……と思うなどした。

8月に知り合った推しと、作業だけでなく雑談もするようになり、その心のきれいさというか、なんというんだろう……まっすぐさ?善良さ?に感動した。こんなに人の(というかわたしの)話をきちんと聞いて、丁寧に答えてくれて、不正確なことを言うのを避けようとする人がいるんだな……と思った。別にコミュニケーションが得意な人ではないからこそ、その真摯さがよく伝わり、なんか本当感動するんですよね……。

しかし改めて考えると、女性でそういう人はたくさん知っている。わたしは知らないうちに結構はっきり男女を分けていて(それはもちろん男性を好きだからというのも関係しているが)、なぜか自分が心地よいと感じられる関係を構築することを、男性に対しては求めてこなかったんですよね……びっくり……。それに気づいたのは12月です。

 

10月

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なんかめっちゃ漫画読んでるな。多分ストレスを強く感じていたのではないか。漫画はストレス強いときでも読める……。町田啓太さんの顔のよさにキャーキャー言うなどしてますね。

仕事中や私的関係において、「迷惑をかけたくない」「なにかをお願いすることが申し訳ない」と感じてしまうことが多く、これをどうにか解決できないかと考えていた月っぽい。

「一方的に迷惑をかけているということは実はそんなになく、人はなにかを選ぶときにリスクも考えているはず、その上でわたしのヤバさも承知で選んでくれているのでは?気に病みすぎる必要はないのでは?」みたいなことに、多分気づき始めている。まだ自分もリスクを考える必要が生まれてくることについては気づいていない(リスクを考えずに自分の気持ちに従った行動をしてご迷惑をおかけしたりした、関係者全員に申し訳なさすぎてめっちゃ謝った)。

引き続き推しと定期的に話していて、この人と話すと本当に楽になるな、なんでこの人こんなに優しいんだろうと思ったりした。そして「自分が大切に扱われる」ことに慣れ始め、(もしかしてこれが「通常」なのでは?自分はこうされるべき存在であって、これまでなぜか自然と他者からの要求を受け入れてばかりいたが、対等なのだからわたしも要求していいのか?)と思い始めた……のだと思う。実感は伴っていないが。

 

11月

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数年前に知り合った友人と、ある誤解から久しぶりにやりとりが生まれて、そのときの対応を「誠実」と称された。

仕事をする中でも、「人に優しい」「やりとりが丁寧」「(きちんと連絡を入れるなどの意味も含めて)誠実」等と褒めてもらうことが圧倒的に多く、あれ、もしかして今のわたしの大きな売りって「やさしさ」と「誠実」……?と思うなどした。

これまで人生の多くの時間を費やして所属してきた学校、特に高校までの組織において、やさしさや誠実さは利用されやすいものでしかなく、役に立つシーンなんてほぼない(なかった)。同時に、やさしさや誠実さというのは誰もが持っているものであって、評価の俎上に上がるものですらないとも思っていた。

それなのに、働き出してみれば、そもそも目立ったスキルのないわたしを紹介してもらえるのは、「まじめで誠実だから」「丁寧で親切だから」みたいな理由が多くて、「えっそれってそんなに役に立つんですか?あと人がやろうと思っても真似しづらいんですか?マジで?」とびっくりすることが複数回あった。

気質そのものはスキルではないかもしれないが、その気質が生み出す仕事におけるよさがあり、そういう意味で、案外ビジネスシーンでわたしの気質は使える、ということがわかった。これらのわかりは、「ああ、自分が大事にしてきたものには意味があったし、わたしはこれらをこの先もきっと大事にしていくだろう、それで今後もなんとかなるのかもしれない」という、今までにない大丈夫感を生んだ。

そう思えたのは仕事先の人や推しが具体的に「こういうところがこのようにいい」と褒めてくれたからで、マジで感謝しかないんですよね……。すべての仕事の連絡のもととなったTwitterと、声をかけてくれた人たちに感謝しつつ、そうなったのもこれまでのわたしの振る舞いがあったからだな、ということを素直に受け取れた。

働き始めて半年を振り返るnoteも書いた。本当はもっと同様に困っている人の参考になるような内容にしたかったが、前述の通りご縁〜という感じの仕事の始まりなので、営業をしたわけでもなんでもなく……。もし営業とかする機会があれば、その方法は全部書き残すつもり。

 

note.mu

 

12月

は〜〜〜やっと12月に来れた……12月のブログはさっき書いて、もうだいたい全部大事なことは書いた。

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自分の能力とか、性格とか、そういうものに自信をもった1ヶ月だった。やっぱ1回自律神経失調症(もしくは超軽度のうつ)になってから、明らかに脳がうまく働く時間は減っているし、こなせる仕事量も少なくて悔しいのだが、なにもできないわけではなく、後から身につけてきたものと生まれ持ってのものの両方に価値があると感じた。それってすごいことで、これはいずれ、自分がなにもできなくても、それでいいと思える日が来るのかも?と思って、うわ〜すごい、人間的成長……と思いました。

 

この1年間で、他の人のやさしい振る舞いや誠実な振る舞いに助けられるシーンが本当に多くて。これまでだったら、そのよさはあくまで他者の振る舞いに限定されていたんだけど、今年は「あー自分も同じことをできているんだな」と思うことができた。ラスト2ヶ月ぐらいでの話なんですけど。

これまでは当然のように思っていた「やさしさ」「誠実さ」の素晴らしさがわかったこと、それを自分が発揮できていて、それも素晴らしいことなのだとわかったこと、そして「やさしさ」「誠実さ」のかたまりみたいな人と知り合って心から大切に思えたことは全部つながっていて、本当に、かなり、主に自分に対する考え方が変わった……。

 

 卒業後のことがなにも決まっていなくて、ただただ焦燥感があった1月、あれからまだ1年経っていないなんて信じられない。本当にあっという間に終わってしまった。

焦ることはたくさんあったけど、その都度できるだけ問題を切り分けてみたりだとか、相談してみたりだとか、自分がなにを本当は不安に思っているか何度もしつこく確認したりだとか、いろんな対処法を身につけられた1年だと思う。

 

なんだかやっと、自分の心身のことも少しは受け入れられた気がする。

気持ちはせっかちで変化が好き、新しくなにか学ぶのも好き。人のためになることをたくさんやりたくて、自分の倫理に従うものであれば手法は問わず、人がつらいなーと思うのをなんとか防ぎたい。自分より他者に興味があって、生活することより働くことが好き。

でも身体には限界があって、あまりにぎやかで人が多いところにずっとはいられないし、静かじゃないと気持ちが休まらない。脳ががんばれる時間に制限があって、無理をするとすぐ調子が悪くなる。だからそんなにたくさん頭を使い続けることは今はできないし、新しいことをどんどんやるのは避けたほうがいい。生活リズムや栄養バランスの影響もとても大きい。

ずーっとこの心身の志向性の違いに悩んでいたけど、現代なら両方が満たされるようにすることもできるかもしれない。ずいぶん前に読んだ脳の可塑性のことも信じている。幸い努力は嫌いじゃないので、まだまだ自分の人生はよくなる、と思える。

つらいときにうっかり死ななくてよかった。今年もたくさん支えてくださってありがとうございました。来年もどうかよろしくお願いいたします。よいお年をお迎えくださいね。

いけいけいきとしGOGOだよ〜