とっちら

好きなことを取っ散らかします。

2019年11月-2020年2月

すーーーーーっかり更新できなくなっていた、このままだともうずっと更新しなくなりそうだったので、下書きにちらほらあるメモを出すだけ出していく。

また3月からは記録していきたいね、結構便利なので。

 

【11月】

新版 すべては「前向き質問」でうまくいく 質問思考の技術/クエスチョン・シンキング

新版 すべては「前向き質問」でうまくいく 質問思考の技術/クエスチョン・シンキング

 

 めーっちゃ前にTwitterのWebディレクターさんが感想ツイートしてていいなーと思って買ったやつを、やっと、読めた……。

考え方を転換する方法として、質問の仕方を変えるというのは自分にとっても相手にとっても有効だなと感じる。

権限ある立場になってみて、前向きさって超大事だな〜と実感してたので、これは今後もちょっと意識し続けていきたいな〜。

 

私の少年(7) (ヤンマガKCスペシャル)

私の少年(7) (ヤンマガKCスペシャル)

 

 

【それ以降】

 

 親切!親切です、初版2005年だけど制度が変わるごとにアップデートされてるのもありがたい。インボイス制度に関するところもちょっと説明されててよかった(課税事業者かどうか)

 

ぼくには数字が風景に見える (講談社文庫)
 

 めちゃ前に数学科の人から勧めてもらった本。自閉症スペクトラムかつサヴァン症候群の著者の手記。

わたしは客観的事実だけを書かれている文章があまり得意でなく(ぼんやりしてしまう)、個人的なエピソードや感想が付いていると理解しやすいという認識の特徴があるんだけど、自閉症スペクトラムの人には結構前者の事実っぽい部分に注目した言語表現をする人が多いように感じることがこれまであった。

この本の中では、そのような事実の羅列がやはり時々なされていて(特に新しい場所に行ったときなど)、それは自分の世界の認識の仕方とはかなり違うのでやはり読んでいてぼーっとしてしまうのだが、これはおそらく翻訳がうまくいっているんだろうなと感じた。

その点について、訳者の古屋美登里さんは「翻訳するうえでは、タメット君の独特の表現を日本語に生かすことに苦心しました」とあとがきで書いている。英語からこの「淡々感」はどのように読み取るのだろうと少し興味を持った。

当然のように書かれている(著者にとっては当然だからそれで正しい)共感覚的な部分についてはさっぱりわからないし、数字に関して書かれていることもほとんどわからない(いくつか計算は試した)。

一番強く理解できる気がしたのは、以下のような情緒的な部分だった。

短い時間で旅行の支度をし、ひとりでホテルに泊まり、人でごった返した通りを異様な光景や音やにおいにひるむことなく進んでいくという、たいていの人なら普通にできることがぼくにもやれるということがわかったのだ。これまでの努力は無駄ではなかった。それどころか、その努力があったからこそ無謀すぎる夢だと思っていたことまでも手に入れることができたのだ。そう思って、ぼくは高揚した気分を味わった。(p.247) 

細かくは書かないが、わたしもまあまあな努力の上で「普通」にできていることがあるなと感じている(他の人がどれくらい努力しているか、測れないので感じる程度なのだけれど)。

本来、それは別に努力しなくてもよいことなのではないか、「普通」とは……といったあるべき論の話はできるし、実際努力したくない人はしなくてもすむのがよいとは思っている。

ただ、自分の心持ちとしてはやはり「普通」にできるようになりたいと思うことがどうしてもあるし、「普通」でないと得られないものというのがこの社会には結構ある。だから、大変な苦労をしたであろう著者が「努力してよかった」と感じている様子が書かれていたのには、少し自分を肯定された気持ちになった。「ありのまま」では得られない素敵なものもある。まあわたしと著者の考えはだいぶ違うだろうけど。

 

発達障害グレーゾーン (扶桑社新書)

発達障害グレーゾーン (扶桑社新書)

 

この本の感想はツイートでまとめた。以下その抜粋 。

「クリエイティブな仕事が向いているよと言われるけど、結局その仕事に就ける人は一握りだから、なんとか自分が苦手な場所に押し込まれないといけない」

「選動音痴が無理やりサッカー部に入る感じですよね。そして周りから、『いい加減パスぐらい覚えろよ』と言われてしまう」

「就活時にもう少し別の職種を選んでおけばよかった」

「まったく同じことを僕も思っています。でも、別の仕事ができるかというと……。結局、運動音痴が野球部に行こうかバスケ部に行こうか、サッカー部に行こうか、さまよっている感じなんですよね」

 (p.50)

↑これはかなり実態に即した表現だろうなと感じた。

当事者のインタビューには「発達障害だと診断されなかったら自分のやる気や努力不足になってしまう気がする」という話がしばしば出ており、それは0(障害のせい)か100(自分のせい)かという極端な考えなのでは?(診断基準には足りないがその傾向がある、みたいなことはありうるよね)と感じたけれど、まあそれもそう考えさせる環境やこれまでの経験があるからだよねと思った。根拠がなければできなさ・苦手を許されないというか……。

そもそも0か100かの白黒思考も発達障害の人には起きやすいのかな。そのあたりは特に言及されていなかったのでわからない。発達障害そのものだけでなく、二次障害の影響はものすごく大きそうだと感じた。

snabi.jp

今まさに悩んでいる人のインタビューに多く紙幅が割かれている一方で、5章のLITALICO鈴木さんインタビューは「じゃあどうしていくか」の話だったのがよかったと思う。

やはり自分のことをよく知るのは必須で、しかし4章で精神科医師西脇さんが書いているように「自閉傾向の人は自分のことを客観的に見るのが苦手」ということもある。

わたしは、1人で生きたい人は1人で生きていけないものかなというのをしばしば考えているんだけど、やっぱり結構難しそうだなと今のところ思っている。

 

死んだらどうなるのか?――死生観をめぐる6つの哲学
 

 友人がイラストを描いている本!

 前半の文化っぽい内容については、ハーー子孫を残し自分が敬われるための仕組みがうまくできてるわーーと思いながら読んだ。そういう機能があるから続いているのだと思う。

後半の哲学的な内容(どうなったら死か、物心二元論・物質一元論など)の部分で、「可能世界」という言葉が出てきており、それはわたしが宗教について考えるときについて言っている「世界観」という言葉との近しさがありそうだと思ったので、関連本を読みたい。巻末のブックリストがよかった。

 

……漫画含め、他にもいろいろ読んでいるはずなのですが記録がなくてわからないんだよね。また足したくなったら足します。今年はいろいろ勉強したいことがあるのでがんばるぞ。