とっちら

好きなことを取っ散らかします。

2021年1月

去年は5月ぐらいで1回疲れてしまって、そこで止まってから日記を残していけなかった。なんか区切りもいいし、また毎月なんらか記録を残すのを続けられたらな……と思う。 

きらめく拍手の音 手で話す人々とともに生きる

きらめく拍手の音 手で話す人々とともに生きる

 

 久しぶりに立ち寄った図書館の新着書籍の棚にあって、おおー、韓国の人の書いた本が。と思って読んだ。

音が聞こえないろう者のもとに生まれた聴者(きこえる人)は、「コーダ(CODA:Children Of Deaf Adults)」と呼ばれるらしい。この本には、コーダという属性を持つ著者の、これまでの話が書かれている。

文章の中には、家族や親を大切にすることが当然になっているから余計に生まれるだろう葛藤や、女性より男性が重んじられているのだろうと思われる様子、障害者差別などがごく普通に書かれている。

SNSなどで、英語圏の人が書いたと思われるK-POP文化評を見ていると、その文化に見られる解放的・先進的な面に注目している印象があるのだけど、実際にその社会で暮らしている人のリアルはまた違うよなあとあらためて思う。社会的な視線が気になって書くのが難しい部分もあったのではないかなあ、これを書いたのはすごいことだなあと思った。

他方で、例えばろう者へのサポートの不足を著者が学校に訴え改善を要求し、それが翌年には一部であっても実践されている様子などを見ると、不満を持つ→抗議したり改善提案をしたりする→検討・実践されるというサイクルが実行され、また実行されると期待できる社会(というと大きいかもしれない……この学校の話は一例に過ぎないので)でもあるんだなあと思った。

そもそもコーダという言葉も初めて知ったので、その1人の文章としても興味深かったが、著者がこれまでに考え、経験してきたことについての話は、なんだかずいぶん身に覚えのある話だった。具体的には、親が周りと違うことに気づいたり、それによって特別扱いをされたり、説明を求められたり、自分と同じ人たちに会ってこれまでのことを共有できる幸せを感じたり、一方で全然違うと思ったりすることなど。(わたしは所属としては新宗教の3世であり、自身は信仰をもっていないつもりだ。)

その属性が結婚においても引っかかる部分にな(りう)るところなども含め類似しているので、読み進めるほどに久しぶりに思い出す苦しさもあったが、同時に「自分(と同じ属性の人)だけが持つ苦しみだと思ってしまうものが、実際はそんなに特別なことではない」ということがなんだかおかしくもあった。*1

そのような類似性を感じたのは、制作した同タイトルの映画を見た人とのやりとりから著者も思ったように、「これは障害者の話ではなく、まさに文化と文化の間で起こること(p.273)」だからなんだと思う。実際、上で羅列した「身に覚えのあること」は、そのコミュニティで多数派でない要素を持つさまざまな人が経験しうることだと感じるし。

似ている部分が多いとはいえ、手語をまず覚え、両親(とそのろう文化)をより素晴らしいものと思いつつも、翻訳者の役割に負担を感じていた著者と、親の持つ文化が馴染まなかったわたしはまた違う。が、だからこそ、あらためてやはり自分の経験は経験で、どこかに残しておくとよいものなんだろうなーと思った。どんどん忘れてしまうし。

映画制作時の撮り方の工夫について書かれている部分も面白かった。

 

 prime readingで読んだ。

経済(というか社会全般)のことを考えるのが苦手なので、ピクサーが成功するまでのドキュメンタリーの中でIPO(株式公開)の仕組みなども知ることができてよかった。まあ成功したからこんな本も書けるわけだけど、そのプロセスはずっと胃が痛い感じで、よくこんなん乗り切ったな……と思う。読むとちょっと仕事が楽しくなりそうな気もする。頭使う仕事、キツいけど楽しいよね……。

著者とジョブズが立場を交換しつつ議論したりしてて、この人たちまあ必要に迫られてやってるのはあるにしても、考えるの楽しい人たちなんだろうな、ゲーム的にやってるんだろうなと思ったら、著者が最後のほうで「私は、ビジネスや財務の世界を一種のゲームだと思っている(kindle no.3961)」って言ってたのでウケた。

 最後著者個人の話で急に東洋思想とかの話になるのも面白かった。

 

たてがみを捨てたライオンたち (集英社文庫)

たてがみを捨てたライオンたち (集英社文庫)

 

2週間に1度ぐらい図書館に通えたら本を読む習慣がつくのでは?と思い、遠くて充実している大きい図書館に行くのは一旦諦め、なにかのついでに寄りやすい近くの図書館をしばらく利用しようと考えている。で、棚の周りをうろうろしているうちに見つけたので、借りた。

3人の男性の視点から進む話は、最初は淡々としていてまあそれはそれで読みやすかったけど、中盤からぐっと面白くなった。中盤というのは、彼らが自分と向き合ったり、今まで見なかったことに目を向けたりして、これまでやらなかったことをし始めたあたりだと思う。自分が面白いと思うのはやっぱり人の感情の動きなんだな。

3人が最初どんな人かまとめてみると、「男性の機能である働いて成果を出すこと」があまりうまくいっていなくて自信のない人、「男性の機能である働いて成果を出すことや女性からのモテ」は得ているけど満たされていない人、「男性の機能である子作り」だけを求められ、それ以外の自分を否定されたと感じる経験がある、「男性の機能である女性からのモテ」を得られていない人……なのかな。(※「男性の機能である〜」という言い方は今なんとなく考えたもの)

作品中で「男らしさ」という単語はほとんど出てこない(紙のため検索できないから不確かだけど)。代わりに「男としての面目」とか男としての自信、みたいな表現があったり、「男性的な生きづらさ」という言葉が出てきたりする。

それはこの本が2017年に連載開始した作品だということが関係しているかもしれない。完全に自分の印象の話だけど、「男らしさ」という言葉よりも「生きづらさ」という言葉のほうが、先にいろんな人が使う言葉になっていった気がするので、当時の一般的に使われやすい、ジェンダーフェミニズムなどについてとくに勉強しているわけではない人にも伝わりやすいような言葉に合わせたんじゃないか。

……と思っていたらやっぱりその言葉を知っている上で表現を変えたのかなと思うようなインタビューがあった。

www.webdoku.jp

一般的には「男らしさ」という表現をするけど、それがないことをものすごく恐れているように見えるから、彼らにとってそれは要素っぽく聞こえる「男らしさ」どころではなく「男なら当然デフォルトで備わっているはずの機能」ぐらいに感じられているのではないかなと思って上のような表現をしてみた。それなら、たくましくなかったり仕事ができなかったり女性にモテなかったりするのが、自分の欠落を意味しているようで彼らにとって重大だ、という感じを少し理解できそうな気もする。そもそも彼らにとっては「男らしさ」っていうのは要素っぽくない言葉なのかもしれない……。この辺はズレがあるだろうなと思う。

このあたりの大変さは正直自分にはわからない。「男らしい」男性ばかりでないことはとっくに知っているし、自分は家事が好きでないが、それを「女性らしくない」からという理由で悩むこともない。高校生ぐらいまでは悩んだ気がするけど……。(いやでも、男性だったら今のすぐ調子が悪くなってしまう体との付き合い方にもっと悩んだ可能性はあるのかも。今の自分でも数年悩んだし今もこの先どうなるかなと思うことはあるんだけど)

登場人物が妙に淡々としている序盤、変化していく中盤〜ラストを見ていると、その序盤っぽい感じの人を見かけることは少なくないだけに、すごくリアルなのかなと思ったりもした。わたしには共感できないだけで、そういう苦しさが存在しないとはまったく思っていない。この辺は男性として生活している人に感想を聞いてみたいところ。

「流産」という言葉の使い方などにもキャラクターごとの考え方の違いが出ていたりして、最初はえっ……と思ったところも後からわざとだろうなと判断できて助かった。

3人が変わるきっかけになる大きな要因はどれも男性(同僚と取材相手の専業主夫、妹の夫と自分の父、取材をしてきたライター)というところもなんかそれっぽいなと思ったりした。そこにそれぞれ女性キャラクターも関与するんだけど、一番最初の打撃になったのは男性の発言だったと思う。

著者の白岩さんは今下記のような連載もしているので、それも読んでみたい。

www.asahi.com

この白岩さんの連載は、初回を読むにまさにこの作品で主人公の1人がやろうとしていたことに近くて、そういう作品と著者との接続がおもしろかった。

 

……なんかまとまりがなくてもいいから思ったことをちゃんとメモしていこうと思ったら、すごく長くなってしまった!

以下普通の日記。

・年始に祖父が亡くなって、近い親族が亡くなるのは20年ぶりぐらいだったのでいろいろと緊張した。寒いのとそういうのとで今月はあまり元気がなかったが、仕事先の人が気遣ってくれてありがたかった。自分は少し落ち着いたものの、この後親がガクッと来るのではないかと心配。しかしいろいろ関連の用事があって家まで戻れない間などに本が読めたのはよかったかもしれない。直前に買った喪服と斎場での振る舞いが似合っていたのか、葬儀会社側の人だとわりと思われていたのが面白かった。自分としても、斎場は静かだし結構好きだった。

・ぼんやりしてたこともあって、書き仕事より文字起こしなど作業系の仕事が多かったのが助かった。自分としては、文字起こしは人と関わらずに人がいる気配を感じられて、内容も勉強になるし、聞こえた音を指で出力するのはあまり意識がなくてもできるから好き。それでお金がもらえるなんて……。身体的にはきちんと疲れるけど。だるいときほど道具がよいと楽なので、キーボード新調しといてよかった。

・去年の途中から仕事まとめてないのでまとめたい……

・そういえば、以前から気になっていたので低用量ピルをついに試してみていたのだけど、副作用が結構出てしまって服用をストップした。想定内だったが、まあ残念ではあった。1種類しか試していないので、今後はまた検討するけど、やっぱり一時的なものかもしれなくても調子悪くなるとすすんで服用したいとは思わなくなるな(PMSや生理による不調がものすごくひどいわけではないというのもある)。

これはまた何かにまとめられたらと思うけど、たとえ低用量ピルの服用という月経まわりを楽にする方法があったとしても、続けるためには経済的余裕が必要だし(効果のためには継続必須)、ピルの知識があって処方に後ろ向きでない医師を見つける必要もある。もちろん身体に合う合わないもあるし。わたしは薬の効果が強く出たり副作用が出たりしがちなので、オンライン診療が一般的になったとしても、何かあったときにすぐに行けるところにかかりつけがほしい。最近お金がなければフェムテックの恩恵にもあずかれないという話題を見かけたけど、やっぱりまだまだいろんな格差ってあるよな〜〜〜〜〜。

・誕生日があったので好きなケーキ屋さんのケーキを食べられて嬉しかった。ずーっと続いてほしい。

*1:これをどう表現したら伝わるのかは、ちょっと難しい。

誰にでもある悩みで悩んでいたのがバカらしいなと思ったということではなく、自分だけが苦しいと思ってその特別さに酔っていた部分もあるのではないか、でも小さな世界でそのときは必死だったよな、という昔の自分への頑張ってたねえみたいな感覚というか。

「みんな悩んでる」「誰でもなんらか苦しみがある」みたいに一般化するのは、なにか困難な状態にある人の話を全然聞けていないし違うなあと思うので、あまり使いたくない表現だ。

この後の部分で著者は文化と文化の間で起こる話だと考えているけれど、その文化がその社会でどのように考えられているかによって、苦しさが変わってくる部分があると個人的には思う。これはマイノリティの中にもさらにマイノリティがいるという話なのかもしれない。著者はそこまで込みで言っていると考えることもできるかもしれないし、著者がその部分に気づいていないとは思わない。単にさらに1歩引いた目線で言っているのかも。もう本返しちゃったので、また読み返したい