とっちら

好きなことを取っ散らかします。

それは義務感か願望か。「〜しなきゃ」「〜したい」問題

明けましておめでとうございます。今年は「まとまらなくてもいいや〜」くらいの気持ちで、ツイッターにはちょっと長い文章をこちらで出していけたらと思っています(とか言ってたらツイッターで1万字投稿できるようになるらしいですね)。

 

で、新年最初のエントリがこれです。「〜しなきゃ」と「〜したい」について。一言でまとめてしまうなら「ほしいからという理由で買わせてくれ」という話。

 

 

こういう感じのツイートをしたわけなんですが。「〜しなきゃ」「〜したい」の2つのうち、より長くその気持ちや行動が続くのは後者だと思っています。前者は義務感から起こる、多分少し焦りのある状態で、後者は純粋な願望。もちろんそれは誰かによって意図的に掻き立てられた可能性もあるのですが。

わたし自身はどちらかというと前者、義務感から動くことが多くて、それやりすぎると疲れるんですよね。あとそうでない人に対して寛容でいられなかったりする。

だからそれを、「〜したい」と口だけでも言い換えてみたり、捉え方を変えてみたり、ほんとに願望になるまではやらないようにしてみたり…という対策をし始めてみました。人と関わる中ではウソの願望は口にしないようにしてるんですが、自分だけに関わることならそうやって騙してみるのもアリかなと。

ここまでがツイートその1の話。ここからはツイートその2の話をしていきます。

たしか最近TLで、アーティストのグッズを買うべきという風潮について、のような記事が流れてきていました。さらっと一読したのですが、ちょっとしっかり覚えていないのでその記事自体には言及しません。

アーティストのグッズ購入などの一部には、義務感「〜しなきゃ」が関わっているように思われます。特に最近は、という印象なんだけど、どうなんだろう。あんまりそういう界隈にいないから、最近情報が入り始めただけかもしれません。

たしかにそのような支援がないとアーティストの生活は厳しいのかもしれません。だけど、それを義務感で買うことがはたして続くのか?と考えると「うーん…」となってしまいます。

アニメの円盤買わなきゃ、とかもそう。買いたい、はすごくいいと思うんですよね。ただ、買わなきゃ〜となると、さっきも言ったように、長続きしないし他人にも強制してしまいそうな気がする。「あなたもこれ好きなんでしょ?じゃあお金出して応援しないと!」みたいな感じで。これ(義務感だとしてもお金を出すこと)が厄介なのは、比較的「善いこと」として見なされているからではないかなと思っています。

 

で、アーティストのグッズはいいんですよ。そんなに問題じゃないんですよわたしの中で。あまりそういう対象がいないので。

もう疲れたのでここからはさらに文章砕きますけど、バッキバキに砕きますけど、そういう「〜しなきゃ!」みたいなのって善いことをしてる人や団体に多くないですか?というのが今回したかった話。善い人たちは「〜しなきゃ」に期待しすぎているというのがより正確かもしれない。(メインの話にたどり着く前に疲れて乱雑になるの直したいですね…)

 

グッズつながりでいくと、例えばフェアトレードな製品だとかさ、これを買うと一部が何かのプロジェクトの資金になります!だとかなんですけど。それを買うときに「●●のためにこれを買わなきゃ」で買うのか、単純に「これ買いたい」で買うのかって、全然違うと思うんですよね。そんで、より多くの人に買ってもらうためには後者であることが必要なんじゃないのか?と。製品それ自体の魅力がないと、思想を共有してない人はおそらく買わないわけで。仮に最初は出していたとしても、他に製品として好きなものが出たら、もうそこにはお金を出さなくなるかもしれないですよね。

あのね、多分善い人たちにとって善いものを買うのはすごく自然なことなんですよね。「解消しなきゃ」という問題があって、そのために何かを買う。でもそれは、ある程度の熱意や思い入れがあるからできることだと思います。そうできない・しない人が大半であるなら、そういう人たちにまで届くものにしなければならない。口で言うのは簡単だ、というのは重々承知してるんですけど、案外善い人たちはここの差に気づいていないのでは?と思うときがある。あるいは人の善さを信じすぎている。

 

逸れてきた感がありますが、要するに「〜しなきゃ」じゃなくて「〜したい」のレベルまで持ってこないと、善いことであってもたくさんの人は巻き込めないんだな〜と思った話です。特にお金を出す場合には。

もちろん善い人のことを悪く言っているわけではなくて、ただ、人の善さを信じることは強みでもあり弱みでもあるな、と思うんです。わたしもわりと性善説よりの考えなので余計に思う。足を踏み入れてないのでわかりませんが、ビジネスの世界ではさらにそうなのかなあと感じています。書いた記事が画像化されてシェアされ本家にたどり着かないとかそういうのを見ていても、多分思っている以上に業界の外の人は中の人の思いに関心がないんだろうなと。

わたしはわりと、どこにも染まりきれずはざまにいることが多いので、なんかそういうところもうまく使えば使えるんだろうなと思った次第。

長くなりましたがひとまずおわり。