とっちら

好きなことを取っ散らかします。

2021年10月

今月は月内に更新したいな〜と思いながら下書きを作っています(10/25)。

文化人類学の本を読むと、自分が好きなのはわりと文化人類学的な視点だよなーと思う(大学で講義を受けたときも好きな学問だなと思った)。

ツイートこれだけしかしなかったんだっけ?気になったページ写真撮ってあるけど本返しちゃったから正確に書けないな……。

ツイートに書いている11章の「家族モデル」というのは、ざっくり言うと不適切な母子関係が摂食障害心理的要因であるとみなされるもの。これは1980年代〜90年代の日本で広く受け入れられたんだけど、それは単に科学的にそう考えられたというよりは、当時の社会や文化的背景(女性の社会進出=家庭以外に女性が力を入れうる状況だったこと)が反映されているのではないか……という指摘がめちゃくちゃ興味深かった。あなたが自分のために外に出たりするから子どもがこうなったんですよという圧、嫌すぎる(責める口実に子の不調が使われるのも嫌すぎる)。

この家族モデルは既にまあまあ批判されてるらしいんだけど、先月摂食障害についてリサーチしてたときに2010年以降出版の本をいくつか読んだところ、まあ……結構支持されているというか……根っこにそういう考え方があるっぽいものも多く感じた!積極的に本を書いてる人が、そういう考えを持ってる人というだけなのかもしれないけど(それもそれでどうなんだ)。

わたしはとくに若年層の摂食障害について調べていたので、実際に同居人の支援などはある程度あったほうが望ましいのだろうけど、問題を家族のフィールドに押し込められて、家族でどうにかすることを求められてもキツいよなと思いながら読んでいた。実際家族にも要因があったらなおさら大変じゃないのだろうか……?

しかしその家族モデルを摂食障害の当事者が知ったとき、語りがその影響を受けているようにみられること、またそれによって起こる救済とその限界について書かれていたところもすごくよかった。多分ここで近い内容が一部読めます

自分自身、語りというものは型を見つけたときそれに合わせるように変わりうるものであり、また時間の経過によって変化するものでもあると日頃からものっすごく思っているし、自分が体調を崩していた時期なんかはそのようなことが実際起きていたのを覚えている。

だからなんか、そうやって語りがあるテンプレの影響を受けることを、あるあるですよねみたいな実感を伴う共感に近い理解という感じで読んでいました。多分こういうのはナラティブの研究あたりで説明があるんじゃないでしょうか。勉強してえ〜〜〜。

気になる本も見つかってよかったです。この本はちょうど最近文庫になったんだね。しっかりめの本は参考文献がザクザクなのが嬉しいよね。わたしは大学の専攻本決めの時期あたりから体調崩してヘロヘロで通うことになり、満足に勉強できなかったので、今後の人生でやっていこうと思っています。

あとは資料用の本をいくつかバーっと見たぐらいかな。あと違国日記あたりか。

前巻があんまりしっくりこなくて、ちょっと想定読者から外れ始めたかな……と思ったもののこの巻は好きでした。正直わたしは主人公のことが好きじゃないんだけど、変化しつつある気もするのでもうちょっと読むと思う。

あっそう、これ読んでいる!かなり好きです。チェ・ウニョンさんの本、もっと読んでみようと思う。

「日本の読者のみなさんへ」という前書きがあるのだけど、その内容や言葉選びが絶妙で、韓国で暮らす人が日本で暮らす人にこうして書いてくれるというのはどういうふうな気持ちなのだろうと思った。どの作品も好きだけど、最初の「あの夏」と最後の「アーチディにて」がとくに好きかな。本のタイトルと同名の作品がないのには驚いた。ある作品の一部なんだけどいいタイトルの付け方……タイトルで気になった人は多いでしょう(わたしもそう)。

普段K-POPアイドルの会話をよく聞いているので、会話文は「もしかしてあの表現かな?」と思う箇所がちらほらあり、原文を確かめてみたくなった。他の言語でこんなふうに積極的に原文と比較しながら読みたいと思うことはあまりなかったので新鮮。それはやっぱり文法的な近さも関係していると思う。

下記ツイート、タイトル変換間違えてしまっていて申し訳ない(正しくは『わたしに無害なひと』)が、掲載しておく。

あとがきまで読んで、こういう姿勢でものを書く人を本当に尊敬するし応援させてほしいと思うから、また他の作品も読んでいこうと思った。

悪い大人、悪い作家になるより簡単なことはないと時々考える。難なくじゃなくて辛うじて、楽にじゃなく苦しんで書く人になりたい。その過程で人間として感じられるすべてを感じ尽くしたい。それができる勇気を持てますように。(p.337)

一方で、アイドルが話すのを聞いていても思うことなんだけど、こういった自罰的とはまた違う気もする……それ以前の罪悪感というのが合っているかな? 表現として間に「미안하고(すまない、申し訳ない)」と挟まれるような感覚は、文化的に共有されているというか、表現として出てきやすいものなのかな〜というのが気になっている。

他の文化圏でも、罪悪感を持って生きているとか書いている人はいると思う(マイノリティ的な部分を持っていて、その苦しさや不便さを体感している人などによく見かける)んだけど、K-POPのフィールドを見るようになるまでこんなに頻繁には聞かない表現だったので、単に慣用表現だとしてもよく使われているわけだし、韓国の文化的な部分が関係しているのかなと思って。

語彙が不足していてうまく表現できないのと、そもそもそういった文化的感覚に日本との歴史が関与していたらと思うと無邪気に関心を持つのはちょっと……みたいな感覚があるので、一旦買ってあるこれ読んでからまた整理して書くかも。

 

これも読んだ!単におもしろそ〜とあらすじ読んで思って手に取ったが、シェイクスピアの戯曲を下敷きにして今の作家が新たな作品を作るというシリーズだった。

キャラクターを「理解できるところが1つもない、自分と違う完全な変人」みたいにしてしまう作品もあると思うけど、これの登場人物は大体多分ちょっと変わってて、でも「普通」?いわゆる「まとも」?なところもあってという感じで、そのあたりの調整が上手だなあと思った。わたし主観なので全然変人なのかもしれないけど……。少なくとも主人公とその家族やパートナー候補の間では話の通じる時間があって、そのバランスが好き。

そもそもシェイクスピアが嫌いで原作『じゃじゃ馬ならし』はとくに嫌い、という作家アン・タイラーがこの翻案を担当してるのもとても面白いし素晴らしい試みだと思った。なんかいいよねー、そういう挑戦って……。今回は、原作が女性蔑視的であるという批判がそれなりにあるから、バーンとやりやすかったのもあるのかもしれないけど。

マイ・フェア・レディ』の原作『ピグマリオン』も、この『じゃじゃ馬ならし』への批判的分析が反映されているという解説も面白かった。これ、じゃあ『マイ・フェア・レディ』はどうなのって話もできるやつだ。

 

下旬に海外文学ばかり図書館で借りたのは、物語が読みたいな〜というのもあったんだけど、今月あった「彗星密室」というイベントに本を選書するにあたり、フェミニズム関連の本を引っ張り出してきたのが関係している。

今月は読めなかったが、他にもヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』など、女性作家でフェミニズムがよく表れていそうな本を借りた。前からトーンが合いそうで気になっていたメイ・サートン独り居の日記【新装版】』や、気まぐれで借りた上記のヴィネガー・ガールも、どうもフェミニズム的な側面があるようで、偶然って面白いなあと思う。そういうのが自分に引っかかる時期なんだろう。

 

10月は新型コロナウイルスのワクチンを打って熱を出したり、そっちが落ち着いたと思ったら初めてのぎっくり腰になったりして、もともと仕事あまり入れてなかったのが正解だったなと思うような身体の不調がいろいろ出た。いつか絶対ぎっくり腰はやるだろと思ってたけど、予想より早かった……。「あ、やばいかも」って思ったらもう動くと激痛になってめっちゃウケました。このストレッチやったらかなり動けるようになってびっくりした(それまでがほんとに動けなかった、トイレ行くのもためらうぐらいだった)。

style.nikkei.com

あとはね〜選挙がありましたね(ここ11/1に日付が変わりながら書いています)。

諸理由から選挙の話は苦手で、かなり避けてきたのをここ数年なんとかしよ〜と思っているのだけど、(ここにいろいろ書いたけどまだ整理が甘くて出せねえな〜と思ってカットしました、未整理の話は勢いで出さずに理解ある知人友人と丁寧に話すのが安全)、とりあえずまた1年ぐらいかけて、もう少し政治について詳しくなれたらいいなと思っています。

10月中にまた間に合わなかった……しかし続けていくぞ!今月はinterestingという感じの本をいろいろと読めて嬉しかったです。