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とっちら

好きなことを取っ散らかします。

メディア、あるいは文章の力について

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これを読んで、「よくわからない」という立場にいることについて考えました。そこに関しては書かないので、とりあえず上のコンテンツを読んでもらえればと思います。

 

「わかった」と思っていても、本当はわかっていないときがよくある。

たとえば『嫌われる勇気』なんだけど、わかっていることばかりで、なぜこれが売れているんだ?とそのときは思った。でも、後にちょっと困ったことがあったとき、「ああ、あれに書いてあったのはこういうことへの対処の仕方だったんだな」とそこで初めて有用だなあと感じたんだよね。これがあの本の本当の価値だな、と思った。自分に実例が足りなくて、見つけられなかっただけ。

本当の理解にいたるまでには、多分いくつかステップがあって、それはすべてを踏まなくてはいけないわけではない。ぴょんと飛ばして理解できるときもある。けど、その重みを知るのは、全部を踏んだときなのかもしれない。

 

さっきのコンテンツを読んで、いろいろ考えてまとめているうちに、なんだかすっきりしてきた。あのコンテンツは、よくわからないというところからスタートして、自分なりの結論に到達している。そのプロセスを読むことで、わたしたちはそのステップを追体験しているんじゃないか、と思った。そういうのがメディアや文章の力なのかな。追体験というのを意識したのは初めてのことだったので、びっくりして今これを書いている。

 

ついでに、文章には浄化作用もありそうだ、というのを感じる。カタルシスとかそういうかんじのやつ。

こうやってまとめていくことで、それを客観視できるというのもそうなんだけど、なんというか、日記やメール、手紙のたぐいで、特に宛先のないものを書くことは、懺悔に似ていると思う。さっき書いていて思った。

現代日本における宗教に関して、けっして詳しくないんだけど、かつての宗教の代わりを担っている他のものはたくさんあると思う。バラバラになりつつも存在しているんだと思う。今の日本においては大抵、宗教は必要のないものというか、むしろなぜ必要なの?という感じで捉えられることが多い思うんだけど、本当に必要ないんだろうか、便利なのに、と思わなくもない。パッケージになっていたものがバラバラになったから、見つけ出すのが少し困難になっている気がする。哲学の価値が見直されるように、宗教の価値もいつか見直されることはあるんだろうか。震災に際して、多少見直された気もするんだけど。

わたしは宗教に関して考えるとき、機能を重視しがちだ。メインの要素とはズレているのかもしれないんだけど、わたし自身がめちゃくちゃ信じてるそういうものがないからか、今はまだうまく想像できない。信じるものがあるというのはどういう気持ちなんだろう。まっすぐな人が多いな、という印象なんだけど。

 

話がそれたけど、文章にはかつて多くの人が求めていたであろう機能がある、ということを言いたかった。一方で全然働きかけてこない言葉もすごく好きなんだけど。音を重視した絵本や詩に見られるやつ。

 

特にまとまらないけど、今日はこれでおわり。いろいろ、わかろうとしてみたい。